聖書と共に

罪と十字架

旧約聖書の中心は、律法と、預言です。
新約聖書の中心は、イエス・キリストとその十字架です。
旧い約束が、新しい約束で成就され完成されたのが聖書です。
律法は、人を罪に定めます。
新しい約束は、人に罪からの救いの道を示します

「もし、誰かが罪を犯す事があれば、私達には、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。この方こそ、私達の罪の為のー
私達の罪だけでなく全世界の為のーなだめの供えものです。      (第一ヨハネ2ー1、2)

「主は、我らの為に生命を捨てられました。これによりて、愛がわかったのです。」(第一ヨハネ3-16)

私達は、罪を持ったままで、天の御国へは行けません。なぜなら、そこを地獄としてしまうからです。「御子イエスの血、すべての罪より我らを潔む」とあります様に、罪を赦される事が大切です
私は、自分の過去の罪を思い出します。子供の頃
の罪もよく覚えています。苦しくて、十字架にすがる時もあります。私の罪は、イエス様の十字架で赦されても、自分の記憶にはいつまでも残ります。
「私達の古い人が、キリストと共に十字架につけられたのは、罪の身体が滅びて、私達が、もはや、これからは罪の奴隷でなくなる為である事を
私達は知っています。」
「もし私達がキリストと共に死んだのであれば、罪から開放されているのです。」(ロ-マ6-6、7)

イエスは言われた。「我は復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり我を信ずる者は、死ぬとも生きん。おおよそ、生きて我を信ずる者は、永遠に死なざるべし」     (ヨハネ11ー25)

********
この罪と十字架を否定する団体が
 ものみの塔(エホバの証人)
 統一教会
 モルモン教
です。

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