【頭の上の日付】
「あかん遅刻や、やばい やばい」朝から土砂降りだ。
通勤で駅までは自転車で行く。
危ないとわかってはいるけど傘をさしての片手運転。
飛ばしていた。
カーブに差し掛かった時、濡れたマンホールでタイヤが滑りバランスを崩した。
キーとタイヤの悲鳴が…
「ドン」
わたしは車に跳ねられそのまま気が遠くなっていった。
あれは高校生になって初めての夏休みを迎える前、同じように雨の日に自転車で転倒してしまった。
車には跳ねられなかったが頭を強打し意識が戻らず家族を大いに心配させたが3日目の朝、パチリと目が覚め家族を安堵させた。
意識が戻ってからは順調に回復し無事に退院することができた。
しかしそれから時々、不思議なことが起こるようになった。
全員ではないがたまに「3月3日」とか「5月2日」とか頭の上にぼんやりと浮かび上がっている人がいるのである。
「これはなんなん?」
と不思議に思ったがしまいには考えるのもめんどくさくなったころ、頭上の日付のヒントになる事件がおきた。
それは高校2年の夏休みに母の実家に帰省したとき、お婆ちゃんの頭の上に「11月5日」とぼんやり浮かんだのである。
その年のその日「11月5日」にお婆ちゃんは亡くなった。
その後もご近所でそういうことがたて続けてあった。
「頭の上の日付はその年のその日に亡くなる」と言うサインではないか?
それが確信になりそうになった今年の春ごろ、こともあろうか朝顔を洗ったときに鏡越しに「6月20日」と自分の頭の上に浮かんでいた。
「まさか…うそうそ」
と私はその確信を拒否した。
「姉き誰が死んだん?」
朝から何度聞いても答えてくれない。
無視してるのか目も会わせてくれない。
母は喪服は着ているもののずっと泣きっぱなし、父はそんな母を気ずかってずっと寄り添っていてとても話しかけられる雰囲気ではない。
そうこうしているうちにお葬式に出かける車に乗りこみ、私は定位置の助手席、父は運転、後ろには母と母を抱きしめるようにしている姉きが乗りこんだ。
私はあまりにも憔悴している母が心配でずっと後ろをみていた。
葬儀場に着いた私は誰が亡くなったのか知りたくて真っ先に会場に入り…
立ちすくんだ。
「俺?」
そこには私の遺影が飾られていた。
立ちすくんだ私の後ろから今にも倒れてしまいそうな母を支えながら父と姉きがスーと私の体の中を通り抜けて歩いていった。
「俺はあの事故で…」
私はあの事故にあった日が「6月20日」だったのを思い出した。
そしてすべてを理解しすべてを受け入れた。