ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

『初夢』

2005-01-02 20:00:00 | 日記

「一富士二鷹三茄子」初夢の縁起モノですが、
わたくし「あばば」よぉ~、夢を覚えとらんとです。
唯一言えるのは、以前にも触れた事があると思うのですが、
車椅子に乗るようになって既に二年目くらいの頃から二足歩行でなくって、
車椅子に乗って登場していました。
同じ中途障害者で今は両松葉杖の障害者暦28年の母F、夢の中では
杖も突いていないし、脚も悪くないようで走っちゃったりしているみたいですし、
訓練校で一緒でした終戦の昭和20年生まれのSさんは、
20代後半バイク事故で右足を大腿(断端が短くほぼ股関節離断に近い)から
切断したそうですが、30年経っても夢の中では跳ねたり
走ったりしているそうです。

母FもSさんも障害を何年も前から受容しているのに夢の中では
障害者になる前の姿で現れるそうなのです。
なのに私は、車椅子になって2年も満たない時期から夢の中でも車椅子なのです。
如何してなんだろうか????

私にはよく言われるし、看護のマニュアルにもある障害の受容までの葛藤による
心理的変化や他人に対して心を閉ざしたり、暴言を吐いたり、暴力を
振るったりナド一切なかったのです。それが原因なのでしょうか・・・・・
私の場合、いきなり事故などでつい先ほどまで歩いていたのに、目覚めた時には
感覚もなく・動かす事も出来ない・・・・という劇的変化を味わったのではなく、
自分自身が日々リハビリをしたり、色々な治療を受けたりしているのに、
感覚が薄れ・力が入らなくなって行き・・・自分自身で身体の変化を
知る事しかなかったので自然に自分が障害者になると冷静に自分の事ながら
第三者の目で見る事が出来たのかもしれません。
しかし、私もすぐに障害者手帳申請をする事が出来た訳ではありません。
やはり初めて主治医から手帳を申請してみないか?と言われた時には、
「身障者手帳を申請するという事は=治らないと認めると同じ事」と言って
反発しました。しかし、冷静に自分の身体を見つめ直すと既に、
歩くという機能はなくなっていました。その時主治医は治れば手帳を返せば
良いのだから・・・と不可能であると解っているのに、
気休めにもならない言葉をかけられました。障害者に抵抗がなかったのは、
身近な存在である母が私の物心付いた時には、既に片松葉ではありますが、
杖を突く、
障害者だった事も障害を受容する上で大きな要因だったと思います。
一番身近な存在である母親自身も中途障害者。障害者に対する色々な
偏見というモノはひとつもなかったからです。
しかし、娘である私が中途障害者になったけれども、母と同じ様に
障害者という立場に対し持っている感情は全く違うようです。
もしかしたら、それが車椅子になって2年も経たないうちに夢の中でも車椅子で
登場しているという事に繋がっているのかもしれません。

今年の『初夢』あんまり良く覚えとらんのですが、結構、滅茶苦茶で支離滅裂な
内容で「一富士二鷹三茄子」とは到底言えないような内容であった事だけは
確かな気がするのですが・・・・・夢は目出度くなくても、現実の世界は
目出度い年であってくれると良いのですが・・・・・