ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

あぁ~、もうすぐなのねぇ~

2005-01-29 20:00:00 | 日記

今日は、1月最後の土曜日・・・1月も後、日曜日と月曜日の2日のみ。
21日は火曜日だから・・・あばばの社会復帰の大きな第一歩を漕ぎ出す?
日まで後、四晩寝るのみと迫って参りました。車椅子生活を送る前の
1年間は県の高等技術専門校に通っていたので、6年ぶりの
社会復帰・社会生活を送ることになります。これで、あばばの長ぁ~い、
人生の夏休みが終わります。入院するまでの専門校のインテリア科(木工科)
職業訓練、その後長期入院の為、途中退校。ヘルニアOP(L4/5・ラブ法)後に
合併症、発症し大学病院麻酔科転院後に思いもしなかった
治療中(持続硬膜外麻酔のカテーテル刺入部の化膿)の医療ミスにより
硬膜外膿瘍を発症し緊急OP(膿瘍ドレナージ&椎弓切除)その後の
後遺症により脊髄性麻痺に至り、歩行不能になり車椅子生活を
強いられる事になり、早五年。
車椅子になった事よりも、幼い時から追って来た夢(木彫職人)
諦めざるを得なくなった事・なによりも好きなバイク(ギア付き)に乗る事が
出来なくなった事・・・この二つがなによりも辛く・悲しい事で、障害者に
なった事はどちらかと言うとちっぽけな人生の中にあるひとつの
通過点でしかありませんでした。だから、いつまでも未練タラタラで、
ヘルメットを飾り・今の腫れた足ではどんな風にしても入る事のない
ライディングブーツを捨てきれなかったり、車椅子を漕ぐ時にはめて
穴が開いてしまった、バイクに乗っていた時にはめていたグローブを
何年経っても捨てられなかったり・・・
いつかバイクに乗る事が出来る日が来るかも知れない・・・この気持ちだけは、
病院を退院して日常生活を送るようになった頃と全く変わりません。
この事が障害を受容しきれていないのか如何か?
でも、夢の中ではもうとっくの昔に二足歩行を忘れてしまい、
すでに車椅子を漕いでいるのですが・・・このままの状態でも免許に
記載されている限定事項をクリアーすると原付車には乗れるのですが、
今のままの身体でも良いからもう一度おっきなバイクで移り変わる
四季の風を感じ取りたいのです。なんか、移り変わる四季の風なんて
かっちょ付けた表現しちゃった。でも、バイク馬鹿は、乗れなくなっても馬鹿の
まんまなんだなぁ・・・とシミジミ考えてしまいます。

木彫の世界で生きる・・・私がヘルニアのOPに踏み切ったのは。富山県の
伊波地方に伝わり今は、伝統工芸にも指定されている「伊波彫刻」の技術を
身に付ける為でした。きっと、伊波彫刻と出会っていなければ平成12年に
OPに踏み切ったかどうか解りません。多分症状がもっと進み、
歩行不能,膀胱・直腸機能障害等の重篤な症状が出るまで
入院すらしなかったと思います。しかし、伊波彫刻に出会った事を
悔やんではいません。一度しか我が目で見た事のない伊波彫刻ですが、
あの素晴らしく壮大で緻密で歴史の深い彫刻を見れた事は私の人生において
とても大切であり、伊波彫刻と出会えた事を大事にしています。
時間とお金があれば幾度でも自分の目で見たいと思っています。しかし、一番胸を
打たれた瑞泉寺には残念ながら車椅子での鑑賞は不可能かもしれません。
それを思うと哀しいですが・・・お金があったら、身体に木の香りが染み付くほど
ゆっくり伊波に滞在して隅から隅まで伊波彫刻を見て周りたいと
心底思っています。今は、憧れになってしまった伊波彫刻です。
とても淋しい事ですが・・・

でもこの五年、肉体的にも身体的にも紆余曲折があり、人生・命も
投げ出してしまいたい・・・と独り思った事もあります。月日が経つのも
早いもので、何もかも・身も心も全ての事から逃げ出したいと思った日から随分、
日が経ちました。

五年前、病院のベッドで休む私は、五年後今のような人生を送っている等
思ってもいませんでした。しかし、今の自分の姿を恥ずかしい(デブ過ぎるのは
置いといて・・・)とは思っていません。今の自分に出来る事を出来る速度で
無理に肩を張らず、楽しみながら社会生活を送って生きたいと思っています。