わたくし“あばば”もうそろそろ、
シャキッとした生活を送らねば!!っと思っておる今日この頃です。
いつになっても規則正しいシャッキリした生活が出来ません。
でも、朝は起きるのは、早いんですよ。その後がダメなんです。
朝食を摂ってからはまた、ベッドでゴロゴロしたり
ボーッとしてたりでそれがいけません。
いけないとは思ってはいるものの、身体がだるかったり、
頭がボーッとしていたり、痛みが襲ってきたりで
ナカナカ有意義な一日を送る事が出来ていないのです。
訓練校に居た時は、体調が優れなくとも無理して出席していたし、
部屋も一人でなかったのでヒトの目もあるので、
そんなグウタラゴロゴロの姿を見せるのもなんだしで、
ビッシッとした生活を送ってきていたのですが・・・
うーん、これでずっと仕事が決まることなく、
生きていく事になったら、
何の為に生きているのかわからんようになってしまう。
生き甲斐のある人生を活きなければ、いかぁ~ん。と堅く
決意致しました今日一日でございました。
全く予期せぬ手術で緊急、本当に驚きでした。
この手術、硬膜外膿瘍がもしなかったとしたら、
今の身体状況になっていたのでしょうか?
仙台に行き、麻痺等が進行、神経内科の診断によると、
この腫瘍、硬膜外膿瘍が多いに関わっているという診断を受けました。
未だにどれが影響していると確定はしていませんが、
やはり硬膜外膿瘍を除いて考えられないようです。
硬膜外膿瘍によって受けた精神的苦痛は筆舌し難いほどでした。
肉体的にも精神的にも、硬膜外膿瘍に罹患したことは辛い事でした。
手術から4年が経ち、今のところ麻痺の進行は落ち着いているといえますが、
また何時進行するか上肢にも影響が出るのではないのか?心配は付きません。
疼痛も相変わらず続いています。
これから、良くなる事は難しいですが、
難治性疼痛に対する理解・解明は少しずつ進んできています。
いつかは治る、何処かでその気持ちを持ち続ける事も大切かもしれません。
過大に期待せず、前向きな気持ちで生きていこうと、
再度、確認することの出来た一日となりました。
本日、午後念願でありました「扇風機」「扇風機」が
使えるようになりました。
言ってはみるものです、
母に「もう、そろそろ扇風機出して欲しいのだけど・・・」すると
思っていた程、反撃にもあわず出してもらう事が出来ました。
しかし、もちろんですが日が暮れて戸締りをするまでは、自然風のみです。
ですが、今、扇風機を回してこの日記を書いております。
いやぁ、昨日までこんなに早くこんな生活が送れるとは
思ってもみなかったです。
有難う母F、とうとう母Fも暑さを感じるようになったのね。
「扇風機!!万歳ばんざいバンザイ!!」これから秋まで宜しくね
平成16年も半分過ぎましたね。
上半期は、2年間の職能訓練を修了し、
東北から長崎へと帰ってきたりと変化のある生活でした。
下半期に望む事は、就職又は就職内定でございます。
しかぁし、大丈夫かぁ・・・2月下旬、仙台で面接した会社から音沙汰なしなのです。
面接時に、福岡事業所は夏頃開設予定だからその前に再面接しましょう。
とのことでした。
しかし、会社のHPを見てもまだ、近々開設予定だけ書いてあるだけなのです。
うーん、ここは気長に待つべきか・・・
本日は、麻酔科外来受診でした。
これにより先週の受診で話したように、
私にはどうもオキシコンチンが適応しないので
以前の塩モヒとトリプタノールを軸にした投薬に戻す事になりました。
オキシコンチンに一縷の望みを託したのですが、塩モヒよりも制約が多く、
副作用が出るのみでこれ以上増量しても
鎮痛効果は得られないだろうとの事で、1回80㎎(1日160㎎)まで
服用した時点で減量、飲みきり中止となりました。
塩モヒは1日5回、オキシコンチンは1日2回の12時間毎で
服用回数も少ないし楽かなぁという思いもあったのですが、
副作用の眠気やフラフラ感が思いのほか強く、
長引いたので車での外出も思い通り出来ない。
出掛けるのは、オキシコンチンを服用して9~10時間後、
急いで用事を済ませ12時間後の服用に間に合うように帰宅・・・疲れ~るぅ。
ゆっくり買い物も出来ません。
これで効果覿面ならば、生活に制約が出来ても諦めが付くのですが、
効果なし制約アリでは元の塩モヒに直すしかありません。
肝機能も薬の影響より脂肪肝の疑い濃し、
なのでトリプタノールも様子を診ながら以前と同じ
1日150㎎まで増量していくことになりました。
今日の採血で肝機能をチェックして、プロへパールを続けるか
飲みきり中止にするか、2週間後の受診で決めることにもなりました。
診察の時に先週、消化器内科宛てに書いた主治医の院内紹介状が
カルテに貼ってあり、少し目に入りました。
それには、両下肢CRPSⅠ型とか神経因性膀胱などなど
私が今持っている病名がイロイロと並べてありました。
そして、その中の一番最初に書いてあった病名
「Fナントカカントカなんとか シンドローム」と英語が綴ってありました。
わ、わたしの知らない間にまた何か病名が付いているぅ。
わたしゃ、知らんぞー。
こんな事ならば、先週、先生はセロハンテープで封をしたのだから、
ちょっと改竄してチェックしとくんだったぁ。
気になる、気になる、なんのシンドロームなのぉ?
一番最初に書かれるという事は、主症状の病名ではないのか?
改竄してれば自分でどんなもんか調べられたのに。
うおーっ、気になる、気になる。次回の受診で必ず、突き止めてやるっ。
待ってろ~ぉ、「Fナントカカントカなんとか シンドローム~」
夕方のNHK長崎のニュースで上半期の話題を特集していました。
すると長崎大学の研究で神経因性疼痛や癌性疼痛のメカニズムを
明かす研究で、マウスを使って成果が得られたという
ニュースをやっていました。
この話題でなにか明るい兆しが見えたような気がしました。
疼痛から解放される日が一日でも早くやってきてくれる事を信じて、
頑張って生活していきたい・・・