![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/40/58d95a9ca49f617ea1c1badc1f33d16f.jpg?1703938180)
こちらは画家で有職故実にも精通していらした吉川観方氏が監修された《着装分解・日本女装史》から公家女性の夏の姿。御存じの方もいるかもしれませんが、公家の女性は外出の際は“被衣”(かづき)を被るのですが、頭から被衣がずれ落ちないように、このような綿帽子と綿帽子針2本。そして被衣笄を髪に付けるのです。
写真は被衣を被る時の姿です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/9c/5d5b90d865b56b37bd779d52cae40b16.jpg?1703958845)
御所被衣と呼ばれた被衣姿の公家女性です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/75/604ac983a250b09d25ce054fb01854e9.jpg?1703938223)
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紅色地に雲菱形に菊花散らし総文様の単衣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/05/3c29eb08729cd2a9afbbd357ba0d6a07.jpg?1704032625)
夏の際に使用された附帯
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/81/16369dcf218ee826d8b9dbd67e7aa458.jpg?1703938249)
公家のみが用いた菱段被衣
公家の若い女性は振袖の被衣を用いましたが、夏冬共に絽地に紺染めの単衣でした。通称御所被衣と呼ばれました。
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御縫御召・英照皇太后御料
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/43/17826463e3c20256e3c46ca2be0623a0.jpg?1703938329)
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黒染は御所では憲法と呼ばれており黒を染る為に鉄を使用した為に年月が経つと破損するものなのですが、英照皇太后の御料の憲法は流石御所で保存されているだけあって多少破損があっても、現在でも美しく保存されています。
因みに憲法を着用する際は切袴を身に付けるのが決まりでした。賢所にお仕えする内掌典の方々は祭典の際は現代でもこの姿をきちんと守っております。
こちらは別冊女性自身 《皇室と昭和の秘録━大写真集》に載っているある女官の御所風の姿です。
『あこがれの宮廷生活。雛人形のような美しい衣装。でも一度、御所に上がると、ほとんど外へ出られない、女だけの世界です。
ひとくちに女官といってもたくさんの階級があり、服装にも細かい決まりがありました。
もちろん、上になるほど美しくきらびやかになるのですが、それがまた修行の張り合いでもありました。━ここに紹介するのは大正時代の女官の衣装です』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/0a/f7f055d00de1192b557b3f24021b99ab.jpg?1703938361)
宮中にあがってはじめてのお盆に両陛下(大正天皇)から頂いた“地白(じしろ)”というきもの。お雇い(見習い)時代
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“けんぼう”といって、黒ちりめんに“ぬい”をした美しい“かいどり”・打掛とも)。拝命のおり頂いたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9d/4c29b0a237d9d14a7573c2b6497d8008.jpg?1703938427)
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これは女官のふだん着に近い姿です。白羽二重、緋ぢりめんのきものの上に、かいどりをかさねています。
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ご用をする時は、すそがじゃまにならないように、かいどりをこのようにからげて着ていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d3/871b723a1765c518f96511e0274d9f36.jpg?1703938501)
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かいどりの上から切りばかまをつけたふだん着。なお、髪はふだんから、このような“まるぐげ”にしておりました。
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女官の常袿
うちき(広袖の丈長の衣)と袴。本官心得時代の礼装。自分のお給金で高島屋で作らせるきまりでした。
シロガネ注・礼装というより普段に両陛下にお仕えの時に着用しました。切袴に単衣は無し。袿一枚着用し、手には雪洞という扇子を持ちました。なお中世では“衣袴”と呼ばれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/4a/4febced1ef2e7f6ca29992fad39009a2.jpg?1703938619)
女官の大礼服
本官(いわゆる女官)となると、長ばかまになります。天長節(天皇誕生日)、四方拝(一月)などの宮中祭典に着用する礼装です。
シロガネ注・本来の大礼服は唐衣裳(十二単)ですが、女官がその装束を着用するのは御大礼の時の時だけですので、通常の宮中祭祀で皇后のご代拝の際は長袴・単衣・袿・檜扇を持つ姿で挑みましたので“大礼服”と呼ばれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/72/074cec73a311c36df049c1ada6050136.jpg?1704020892)
御縫御召に濃切袴姿の鷹司和子夫人(孝宮様)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/67/0f3d1bf6c64260a832cc89e390d62ca3.jpg?1703968587)
昭和35年2月に藤文様に雲取りを配した御縫御召しに濃色の切袴姿で、『納采の儀』に臨まれる島津貴子夫人(清宮様)。
御所の小袖は総文様が一般的でしたが公(おおやけ)の際は必ず袴を着用するのが決まりでした。昭和天皇の第一皇女でいらした東久邇成子夫人(照宮様)にお仕えした岩佐美代子氏によれば、女官達は袴をはくと折角の美しい御所風の刺繍が殆んど隠れてしまうので、「もったいない、もったいない」と言いながら、着付けていたということです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/41/186b341b1370bd7c1b6785d9fc129e50.jpg?1703968622)
香淳皇后にお仕えした女官。長袴に双鳩文様の緞子の袿を着流しに着用した姿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a8/07213615803089fa929c526aa2da1f40.jpg?1703968649)
こちらは袿袴道中着。手には雪洞(ぼんぼり)という扇子を持っています。岩佐美代子さんのお姑さんは女官たったそうで、袿袴姿で拭き掃除でも何でもなさったと言うことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/41/186b341b1370bd7c1b6785d9fc129e50.jpg?1703968622)
香淳皇后にお仕えした女官。長袴に双鳩文様の緞子の袿を着流しに着用した姿。
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こちらは袿袴道中着。手には雪洞(ぼんぼり)という扇子を持っています。岩佐美代子さんのお姑さんは女官たったそうで、袿袴姿で拭き掃除でも何でもなさったと言うことです。
シロガネ注・これは袿袴では『通常服』といわれた姿で単衣は着用せず、手に持つものは雪洞と呼ばれる扇子です。これが『礼服』と呼ばれる袿袴だと単衣を着用し、手には檜扇を持ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/22/593a4ab5627545e302a7cea787a1caf8.jpg?1704035169)
御物 英照皇太后の檜扇
最近復刻された小川金男の《宮廷》現在は《皇室の茶坊主》によれば英照皇太后というお方は
『・・・・ついでに述べると、この英照皇太后は非常に美しく、たとえて見れば能面を見るような、凄いほどの美しい方であったということである。』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4e/95584c106b1d312c19d5850cb2fb555b.jpg?1704035197)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4e/95584c106b1d312c19d5850cb2fb555b.jpg?1704035197)
裏面