山口将吉郎挿絵 『身代わり紋三』
maynさんのブログで初めて知りましたが、K氏母の身も凍るような過去の出来事が“女性セブン„に掲載されていました。今までも常識を疑うような、K氏母や溺愛している、息子のK氏の記事は他の週刊紙等に出ていましたが、今回の内容は、一二を争う程の内容でした。
しかしこの母子は後どれだけのおぞましい出来事を隠しているのでしょうか、きっとこれからもこういった内容の記事は出てくるでしょう。
シロガネ始め、多く人達もきっとは聞きたくも無いでしょう。こんなおぞましい人達がどうして内親王殿下の夫となり、又皇室と、縁続きになるというのです。あってはならないことです。
今まで持参金狙いとか、皇室と縁を結んで上級国民になって自身のプライドを、そして虚栄心を満たしたい等思っていました。例えば、
いきなり炭治郎達の前に現れて
多くの『鬼滅』ファンに多大なインパクトを与えた◯◯先輩
「俺は安全に、出世したいんだよ。出世しりゃあ上から支給される、金も多くなるからな~~🎵」
しかし・・・・・
以下、自粛・・・・・
炭治郎
「!一瞬で、◯◯に・・・!!」
◯◯先輩みたいなのは、普通に居る嫌な人間の願望ですが、しかしシロガネは記事の内容を知った今、この母子のこれまでの生き方がとても恐ろしいです。
『持参金を当てにしていない』と代理人の弁護士が言っているそうですが、この言葉も怖いです。姫宮と結婚して何をしでかすのでしょう。何故ならこの母子には、『お金』と『死』が付きまとっています。
週刊新潮で、西村宮内庁長官が、K氏に対して、『説明を・・・』と公に発言しましたが、上皇后陛下の意向も合ったのではと、極めて全うな記事を書きましたが、今日、宮内庁は、上皇后陛下におかれてはその様な意向は、無くそういった事はないと訂正を求めたと、言うことです。
正直、女性セブンのK氏母の記事が余りにおぞましく、シロガネは、このブログの記事を書く気力もなかったのですが、今日の上皇后陛下の相変わらずの、ご自愛ぷっりに、シロガネの肩が抜けてしまい、何だか書く気力が湧いてきました。
関越道で車が千台も雪に埋もれて、立ち往生して自動車に乗っている人も救援に駆け付けた、自衛隊員の人達が、この寒波のなか、大変な思いをして雪掻き、除雪作業をしている最中に、よくもよくもこんな下らない訂正を求めるお気持ちを、お出しになられたものだと・・・・・
自衛隊が汗水垂らして除雪作業にたずさわっているのが、お気に入らないのでしょうか??あの噂は本当なのでしょうか??偽善者とはこの事かと、思うばかりです。
今回の事で、上皇后陛下の目線が今、何処にあるかと、如実に分かり、呆れたり、相変わらずうでいらっしゃると思ったりしましたが、しかしおぞましきK氏母に比べれば、可愛いものです。ぶれない相変わらずの上皇后陛下にちょっと救われました。でも・・・・・
胡蝶しのぶさん
「そんなだから」
「皆に、嫌われるのですよ♥️」
「皆に、嫌われるのですよ♥️」
「フフフ・・・」
胡蝶さんの言う通り、『そんなだから皆に嫌われるんですよ』上皇后陛下。お救いになられるなら、シロガネでなく、おぞましきK氏と結婚しようとなさっている孫の姫宮を救って頂きたかったです・・・・。
ご自分が一番大切・・・・そういう行動を取られるから、眞子内親王は、おばば様を見習って自分自身の欲望に中心なK氏と結婚を望むような事態になってしまったのです。
お小さい頃から、自分中心の祖母宮を間近に見ておられた姫宮は、それが正しいと、本気で思っていらっしゃるのですから。そんな祖母宮をお手本になさっておられれば、そうなってしまったのは、必然だったのでしょう。
上皇后陛下が、我が身の間違いをお認めに成られて、姫宮のこの国民の多くが反対しているこの縁組みを反対の立場を知らしめて頂いたら、真の慈愛の上皇后陛下に成られるのに・・・・・。しかし無理ですね。
富岡義勇さん
「・・・・・情けをかけるな・・・・」
「何十年と生きている、醜い化け物だ」
それにしても、母宮の皇嗣妃殿下がお可哀想です。悠仁親王殿下を守りつつしかし、ご自身では、皇室の『崩壊』という名の焔が見えていらっしゃるのかも・・・・。
高畠華宵挿絵
高畠華宵 『散りゆく花』
若宮殿下が、姫宮のこの自分の欲望第一の結婚問題で、深く大きな傷を残さなければいいのですが・・・・・それが一番心配です。
ペンペン草さんのブログにもさっそく上皇后陛下の下らない抗議の記事について書かれていましたが、世の中で一番恐ろしいのは鬼よりも人間なんだ・・・・・と、良く分かる書き方です。でも一番優しいのも、人間なのだと思います。
昭和33年、能登半島を昭和天皇と御一緒に訪れられた時の香淳皇后です。お優しい微笑みのお姿でいらっしゃいますが、しかし国難というべき、戦中戦後の時、そして皇室が存続するかしないかの、大変な時代を潜り抜けていらしたのです。
高畠華宵 『戦いの後』