The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

「井の中の蛙」or「お山の大将」

2024-10-24 | 2024年
 
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「井の中の蛙」と「お山の大将」は
 どちらも狭い範囲で得意になっていることを表します
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 の つづきのようなお話です。
 
 ある時 兄が回顧して言いました..
  中高生までは
  親父が自慢で 大好きだった と
 兄もまた 挫折を味わった一人だったのです
 
 5歳離れた兄は
 中学~高校まで野球に没頭して
 高校時代は 甲子園一歩手前に至る強豪チームで
 強打者として地域で話題になっていて
 両親は忙しい稼業を営みながらも
 息子の支援に夢中でした
 
 その頃姉は、
 すでに大学生で 都内で生活をしていたため
 残された家の中で
 兄は 話題の中心でヒーロー
 
 そもそも
 子どもの時分から「お山の大将」だったから
 近所の子どもたちを引き連れて
 妹をターゲットに戦いごっこ などなど
 わんぱく過ぎて
 ご近所の男の子の親御さんからも
 頻繁に 苦情を言われるキャラ
 
 本人は何も悪びれず
 持てる腕力&体力が余りあっての発散
 
 それが
 高校野球で開花して
 そのまま 六大学リーグの某大学野球部に入る結果となる
 
 
 そこからが兄の挫折の始まり(?)..
 兄が認識したことは
  自分は「井の中の蛙」であった 
 ということ
 
 私にも同様の経験がある..
 幼少期から
 「他の子とは違う」という「特別意識」を抱かせる
 そういう家庭の状況があった
 
 当時は
 ある意味選ばれた人だけが習う「ピアノ」
 それが
 たまたま 私の母方の親族に音楽家が多く
 私の意思とは無関係に
  当然その道に進むもの
 として音大受験までのレールを敷かれていた
 
 けれども
 わが家では 兄の存在が大きくて
 私は
  放っておいてもそうなる
 と思っていたかのような放置を受け
 私の悩みや心に寄り添ってくれる環境は無かった
 
 いや
  「環境は与えた(与えている)」のだから
  適応できなかったあなたが悪い
 とでも言うかのような
 私にとっては
 孤独で非常な扱いだった..
 
 だから
 いざ 音大受験の準備として
 全国的な講習会に参加した際には
 まさしく
 「井の中の蛙」であった自分を卑下し
 同時に
 自分の家庭環境(=特に母親)に対する嫌悪感が
 一気に噴出する結果に至る
 
 (つづきは また後日)
 

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