The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

持論;DV⇔逆恨みに通じる罪「未必の故意」

2022-07-13 | 2022年
 
 2022.7.8 11:31
 銃弾に倒れた安倍晋三元総理
 
 社会は騒然とした..
 
 状況が分かるにつれ
 逮捕された犯人が抱えていた
 「病んだ心」が 浮き彫りにされる..
 
 罪を憎んで 人を憎まず
 とは言っても 限度はある
 殺人は 絶対的に許しがたい..
 
 然し!
 もっとも許しがたいのは 未必の故意
  刑法および不法行為法では、
  無謀とは、人が故意に不当に行動を起こし、
  そのような行動から生じるリスクを意識的に無視する精神状態と定義することができます。
  無謀さは悪意よりも責任が少ないですが、不注意よりも非難に値します
(ウィキペディアによる)
 
 
 
 人の心に潜む「未必の故意」という悪質な心..
 紙一重の境界線を巧みに利用して他人を懐柔する
 それは案外 日常のコミュニティに現れたりもする
 
 
 罪を憎んで 人を憎まず
 
 自死も含め
 生命を殺めてしまうまでに陥らざるを得なかった
 それ以前に
 誰からも救われる機会(←宗教意外)を得られなかった
 その孤独な妄想からの選択
 
 その結果は
 時に 犯罪として許されざる事実ではあるけれど..
 絶望的な孤独に陥った心の背景には
 同情 と 憐れみを感じるものがある..
 
 
 結論としては 
 人が成長する段階において
 自己の在り様を客観視する心を育てきれず
 独りで もがき苦しんだ歳月が
 深い怨念と化して
 最悪な結論を導きだす可能性は軽視できない..
 
   
 誰しも子どもの時代に
 自分の環境を選ぶことはできない..
 ある一定の成長期間に
 もっとも大切な心の育成
  =親子の絆 や 信頼し合える人との出逢いなど
 それらが十分でないままに
 幼いからこそ昇華できない不条理を受け続ける
 誰にも自分の苦しみを気づかれない という妄想から
 闇に陥っていくことは否めないような気もする..
 
 
 罪を憎んで 人を憎まず
 
 人の命を奪った者でさえ
 人として生まれ成長する過程で 
 身近な人の気づきや寄り添いを得られず 
 見放され..
 結果的に
 未必の故意という仕打ち
  =無意識化のDVに等しい精神的なダメージ
 を 抱え続けたであろう状況..
 その結果
 自暴自棄のような妄想に取りつかれてしまう..
 
 そして..
 未必の故意 には
 受けた側からの逆恨みを引き起こす危険性が表裏一体に在る
 と 私は思うところがある..

映画 20歳のソウル HATACHI NO SOUL

2022-06-02 | 2022年

 

 

心に沁みる。。。 - The Way We Were

誰しも通り抜けてきた時代それを“思春期”と呼ぶ切なくも愛おしい10代の君昨年の今頃の出来事↓↓↓http://www.nhk.or.jp/ncon/arch_letter/index...

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 映画 20歳のソウル HATACHI NO SOUL
 
 公開初日の最初の時間帯で観ました..
 コロナが勃発してその渦中には控えていましたが
 そろそろ緩和の動向が見えたので
 ひさしぶりに 映画館へひとりで..
 
 なぜだろう
 至極感動したのは言うまでもない
 けれども
 この感動は どういう類のものなのか..
 以後 何かにつけて想っています
 
 すばらしい指導者と仲間に出逢い
 大好きな吹奏楽=音楽人生を満喫できた
 最後の最後まで..
 
 20歳で逝った..ということは悲しい事実
 ですが..
 映画で描かれていた彼は
 多くの人に愛され
 少なくとも高校の三年間は
 その後襲いかかる病の片鱗も感じることなく
 普通の高校生活を 部活に打ち込み
 その活動の中で
 母校に いまもなお継承され続ける「応援歌」を遺した..
 
 映画の主題歌は
 彼が恋人を想って書いた旋律をオマージュしている
 
 美しい歌声(Kanta Dedachi)が より一層
 若く逝った彼の 
 しかし 輝かしかった青春の姿を引き立てる..
 
 もしかしたら
 私は
 この映画の彼の青春期に
 自分のその時代を投影して
 羨望 との裏返しに
 深い 悲しみに襲われているようにも思う
 
 そう..
 私には 応援される仲間も 家族もいなかった
 
 いいえ
 世話を焼いてくれる=助言?をしてくれる
 そういう人が居なかったわけではない
 
 けれども 私は..
 独り心を閉ざして
 将来の自分への希望を抱けない環境の中で
 深い絶望感を抱いていた
 
 誰も気づかない..
 そう
 空回りする環境の中で
 私は 誰をも信頼せず
 独り..自分を護りながら 
 大切な思春期を
 ただ やり過ごしていただけの歳月
 
 映画 20歳のソウル HATACHI NO SOUL
 この映画は
 決して悲劇ではない..
 
 悲劇というのは むしろ
 本来 無条件に
 いま(現在) を 自分のやりたいことに集中して
 将来への希望を見出す時代に
 そういう 当たり前の成長に寄り添ってもらえず
 否定を受けて 自由を奪われること...
 
 こころの拘束を受けた者の悲劇
 
 自分との対比が
 いつまでも いつまでも
 余韻となって
 繰り返し 繰り返し 悲しみが蘇る
 
 
 

 


4月になると 母を想う

2022-04-15 | 2022年
 15歳の春
  (高校入学の年)
 私は 突然 家の中で一人ぼっちになった。。
 
 
 
 母が亡くなったのは..突然のこと
 末孫の息子が 小学校の1年を終えて
 2年生の新学期を迎える春休みの最後の日のこと
 
 4月 桜の花見に出かける準備をしていて
 急に気分が悪くなった..と言ってそのまま
 
 その前々日には
  春休みの最後に 泊まりに来させて
 とのリクエストに応えて
 息子をお泊りさせて 迎えに行った折に
 夕暮れの薄暗闇で
 私と息子とを見送る母の姿を見たのが最後でした
 
 明日からは 新学期
 というその日
 私は 息子と自宅でのひと時を楽しんでいた
 
 そこへ突然の 救急搬送された という連絡
 病院について見た母は
 もう...帰らぬ人になっていた
 
*******************************
 
 あまりにも衝撃的なままに
 桜満開の季節に執り行われた葬儀..
 通夜の夜 
 空には月が輝いていました
 日取りを正確には覚えていません
 が..
 その年は 母が無くなった日から数日後が
 満月 でしたから
 おそらく十三夜の月だったかも知れません..
 
 
 美しすぎた母の逝き方..
 それは 
 私が感じてきた母への思いを
 一掃させるほどのものがありました..
 
 母の元から離れるまでの20年余りの歳月は
 幼少期からの心のすれ違いと
 15歳からは特に
 母親に見放されたかのような環境の変化の中..
 私は満たされることなく
 彷徨う心を抱えていた当時の自分が
 未だに蘇る瞬間がある..
 
   以前よりは 起こりませんが
   この感情は 生涯癒されることは無いのだ
   ・・と思うのです
 
 

My Nostalgia

2022-03-01 | 2022年
3月になりました
誕生月です
 
 5歳の頃の私はまだ..
 無邪気で 輝いていた。。
 
 毎日発動される好奇心のままに
 奔放に 元気いっぱい遊ぶ
 そんな活発な女の子だった。。
 
 ある時
 わが家にピアノが届いた。。
 当時は古い日本家屋の
 8畳の和室の片隅に置かれたそのピアノは
 両親と姉とが強く望んで
 私に贈ってくれたもの
 
 その時
 私が歓喜したか? どうか..
 その程度の記憶しかない
 けれども
 その後そのピアノは
 私を長く 縛るものと化す(笑)
 
 音楽は嫌いではなかった
 いや 母の妹たちが皆
 音楽(ピアノ)の先生だったから..
 その影響というものはあったのです
 が..その時代
 『ピアノのお稽古』という特殊な環境に馴染めず
 自主的な練習が嫌やで
 庭中を逃げ回っていたことを思い出します(笑)
 
 そう
 10歳離れた姉が 
  もっと早く私にもピアノを習わせてほしかった
 と 折に触れて嘆いており
 その姉の意向もあって
 私に早くからピアノを習わせた
 という経緯がある。。
 
 大嫌いだった発表会の折には
 オートクチュールの新たなドレスを着て..
 当時の田舎の子供としては
 贅沢極まりない環境を与えられていた
 けれども
 日常の私は 野性的で
 埃まみれに汗をかいて遊ぶことが好きだったから
 『ピアノのお稽古』に付随して求められることの全てが
 どうにも腑に落ちないものだった。。
 
 
5歳からの私の軌跡=My Nostalgia
ときどき書いていこうかしら..(^^;

さようなら

2022-01-15 | 2022年
父が 亡くなりました。。
父の葬儀の折
久しぶりに 一番大きな姪っ子と再会しました。。
 
姉の結婚
そして初孫の誕生
その時期を境に
母の心は私から離れて行きました。。 
 
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もともと
姉 と 兄の子育てに精一杯で
年の離れた末っ子の私は...
上の二人に準(なぞら)って 育てるかのようでもあり
私にっての初めてのことは
上の二人との比較で
結果が良ければ..
そのことが 母にとっての新たな感動のようでしたが
結果が悪ければ..
上の二人と異なっていることが許しがたいものだったようです。。
 
両親にとっての新たな喜びを齎したこと と言えば
私が 地域一の難関高校に入学したこと でしょうか(笑)
それだけが
上の二人の経験から さらに願った親の気持ちだったのでしょうか
私が行きたかった高校ではなかったのに
強いられるままに 合格しました。。
 
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私が高2の時に姪っ子が誕生しました。。  
 
姉が嫁ぎ
兄が大学進学で家を出たのは
私が高校に入学したのと同時期のこと。。
 

絶望 2021-03-10

祖父母と両親という大人の中に独り取り残された
そういう感覚に陥った私。。
 
 
当時..
父が引き起こした経済的な問題のために
姉も兄も不在になったわが家には 冷え切った空気が漂っていた。。
 
しかし
初孫の誕生というものは
両親 特に母にとって この上にない生きがいと化し
嫁いだ娘とその家族に対しては
家の事情を悟られないよう...
 
また
夢に向かって大学に入って 独り暮らしをする息子には
その妨げにならないよう 必死でフォローをしていた両親..
その背後で
高校生になったばかりの私は
大人の(両親の)事情に振り回され..
自分の進路を決めていくために集中できなかった
悩み多き頃。。
 
気が付けば
半世紀もの歳月を
私は...
自分を見失って生きてきたような気がします。。