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最近
息子と語り合ったこと
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結局のところ
人は
常に “自己選択” をし続ける生涯である
しかしそれは
その “選択の自由” が
その “選択の自由” が
最低限保障される社会でなくてはならない..
子どもが育つ “家庭” には
経済的or親の学力などの差があったとしても
それらは
必要以上に他人と競うための手段ではなく..
いかに 自分が満足して生きられるか
というだけのことにしか過ぎない
大切なのは
子どもにとって安らげる環境があるか? 否か..
貧しさを共有していた時代(第二次世界大戦前後)の頃と
現代に至るまでの各時代とを比較して想像すると
結果的には
結果的には
物は豊かになったように思えても
反比例するかのように
人の心が衰退して行っているようにも感じる
特に..
高度成長期を境に
バブル時代の崩壊以降は
経済の伸び悩みも影響して..
子どもが育ちにくい社会に至っているように思える..
豊かさとは何を以てそう言うのか?
人間の欲深さが招いた社会現象は
物は溢れて一見豊かなようでありながら
それらに振り回されて
不自由になっている時代のような気もする..
生涯という想定は
人間だからできることではありますが..
そもそも
生まれて来る家庭から始まる環境も
ある意味
何らかの理由で “自己選択” したもの とすると
それから後のすべて(日常)は
毎日 “選択” に基づいて “分岐” し続ける..
毎日 “選択” に基づいて “分岐” し続ける..
絶対 という決め手があるわけではないのに
執着してしまうからこそ
親であれば
わが子の絶対を鑑みて夢を託すために
経済活動をしているようなもの
果たして 絶対と言えるものがあるとすれば
果たして 絶対と言えるものがあるとすれば
人は必ず死ぬ
それが必然的な前提であることの意味を
まず教育するべきであると思う..
そして
死ぬまで生きる ときに最も大切なのは
自分の身体と考える知恵
表面的な教育ではなく
当たり前に密着している必然を
もっと しっかり教育することが望ましいのに
幻想ばかり追い求めて
地に足のつかない偏差値教育など..
何の意味もない
と つくづく思う今日この頃 の話