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吾日三省吾身(論語 - 曾 子-)
吾れ日に三たび吾が身を省る。
人の為めに謀りて忠ならざるか、
朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるを伝うるか。
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論語が好きでした。
子どもの頃から
[格言] や [道徳] の授業が好きだった私..
すると
自分の身の回りの[矛盾] というものに気づき
そういうことを正したい
という気持ちが強かった..
家の中では
末っ娘が
聞きかじった理屈だけ捏ねる
困った子どもという扱いでした..
しかし
私の中では
現実と理想との矛盾について
丁寧な説明も無いままに
大人の理屈で封じ込められている閉塞感が
どんどん増幅される日々
どんどん増幅される日々
やがては
成長とともに自分で傷つきながら理解して行く
とはしても
先に理解する機会があれば
無駄に傷つく必要も無い
ということもある
それは 過保護とはと異なる[教え]
それがあるか?否か?によって
子どもの自立への最低限の[防備]に通じるものだ
と 私は思う..
となると
かつては誰しも子どもであり
いつ どの時代であっても
子どもを取り囲む大人たちの意識こそが
子どもの心の安寧に悪影響する
という負のスパイラル..
しかし
現実というものは
生死にかかわる生活を維持する作業に翻弄され
疲弊した大人たちは
精神的な余裕を保てない日常..
吾れ日に三たび吾が身を省る。
などという行為は
もはや 理想を超えた幻想と化し
だれも自省する暇もない
そんな中..
このBlogという場を得られて
それなりに心の整理をつけられていることは
幸せなことです
誰に向けた話でもない
個人の戯言にしか過ぎないBlogに
立ち寄って下さる方がいらっしゃること
あらためて感謝申し上げます
2025年も不定期で
だらだらと 思いつくままに綴ります