The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

2025年のごあいさつ

2025-01-14 | 2025年
 
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吾日三省吾身(論語 - 曾 子-)
吾れ日に三たび吾が身を省る。
人の為めに謀りて忠ならざるか、
朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるを伝うるか。
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 論語が好きでした。
 子どもの頃から
 [格言] や [道徳] の授業が好きだった私..
 
 すると
 自分の身の回りの[矛盾] というものに気づき
 そういうことを正したい
 という気持ちが強かった..
 
 家の中では
  末っ娘が
  聞きかじった理屈だけ捏ねる
 困った子どもという扱いでした..
 
 しかし
 私の中では 
 現実と理想との矛盾について
 丁寧な説明も無いままに
 大人の理屈で封じ込められている閉塞感が
 どんどん増幅される日々
 
 やがては
 成長とともに自分で傷つきながら理解して行く
 とはしても
 先に理解する機会があれば
 無駄に傷つく必要も無い
 ということもある
 
 それは 過保護とはと異なる[教え]
 それがあるか?否か?によって
 子どもの自立への最低限の[防備]に通じるものだ
 と 私は思う..
 
 となると
 かつては誰しも子どもであり
 いつ どの時代であっても
  子どもを取り囲む大人たちの意識こそが
  子どもの心の安寧に悪影響する
 という負のスパイラル.. 
 しかし
 現実というものは
 生死にかかわる生活を維持する作業に翻弄され
 疲弊した大人たちは
 精神的な余裕を保てない日常..
 
 吾れ日に三たび吾が身を省る。
 などという行為は
 もはや 理想を超えた幻想と化し
 だれも自省する暇もない
 
 そんな中..
 このBlogという場を得られて
 それなりに心の整理をつけられていることは
 幸せなことですらぶ②
 
 
 
 誰に向けた話でもない
 個人の戯言にしか過ぎないBlogに
 立ち寄って下さる方がいらっしゃること
 あらためて感謝申し上げますらぶ② 
 
 2025年も不定期で
 だらだらと 思いつくままに綴りますらぶ②
 

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