The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

未必の故意

2024-12-26 | 2024年
 

トラウマ - The Way We Were

トラウマとは心的外傷、つまり「心の傷」を指します。その人の生命、存在に強い衝撃をもたらす事象を外傷性ストレッサーと呼び、その体験をトラウマ体験と呼びます。トラウ...

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2024-02-13 | 2024年

 トラウマ
 単なるストレスとは意味が異なり、
 過去に起こったストレスフルな事象が、
 後の人生に
 様々な影響を及ぼしているような意味で使われます。
 
 ********************
 
 つい先日も
 両親について語り合う機会がありました。
 相手は 兄嫁です。 
  三人の子どもたちの中で
  姉と妹に挟まれた長男のお嫁さんは
  最終的には
  姑(父)の最後を世話してくれた人..
 
 結局のところ
 私も姉も
 娘でありながら 諸事情も影響して
 父の末期の世話を 兄嫁に押し付けたようなもの
 
 姉と私は 10歳もの開きがあって
 それぞれが見てきた親の様子
 家庭に対する印象も概念も全くそぐわない..
 
 戦後のベビーブームの姉の時代と
 その十年後の高度成長期の最中に育つ私とでは 
 社会全体の雰囲気はまったく質が異なり、
 子育てをする両親(特に母)は
 末娘の私の時代には順応できていなかった...
 というか
 母の子育ては長女で終わっていた
 
 では 間の兄はどうだったのか?
 と言うと..
 やんちゃで 憎めない活動的な男の子だったため
 母にとっては 自慢で可愛い息子であり
 野球少年だった彼の活躍のために
 彼には常に特別待遇だったし..
 その後
 大学の野球部の合宿所生活をすることを機に
 自分の手元から離れた息子には
 当時抱えていた家庭の諸々の雑音は
  一切伝えないで!
 と 私に強く示唆する
 
 結果的に
 もっとも大切な家庭内の状況については
 すでに嫁いでいた長女にも
 兄にも
 一切漏らさない という態勢を強いられた私..
  高校生になったばかりの私にとっては
  何の力にもなることもできず..
  上の二人は
  母親の偽善にまみれた愛情を受けて
  それに対して見当違いな感謝 否、
  当然だという受け止め方?は
  何も事情を把握していないからこその
  やむを得ないことだった..と当人たちの論
 
 当時、
 私という 取り残されたような末娘の心情には
 誰一人として 
 的を射た寄り添いをしてくれる人は皆無でした( ノД`)
 
 そんな私の苦境の時代
 ですが..
 その当時は誰しもが
  あの子はわがままで
  あの子は捻くれている
 と 散々な人格否定を受けたのでした( ノД`)
 
 ********************
 
 後から参入の兄嫁は
 当時の私の目には
 周囲の他の人同様で
  身勝手で その場限りの偽善者
 としか映りませんでした 
 けれども
 自分たちの暮らしが一段落して
 父の晩年に寄り添った時に
 ようやく 過去の経緯も見えて来た
 という自責もあってか..
  (没後になってからではもう遅いのですが( ノД`)
 過去の話を いろいろと
 私に詮索してくるのです(^^;
 
 私としては
 単に 「両親は未熟だった」
 としか言いようもなく..
 その背景になるものは 根深いものがあるため
 祖父 祖母 父 母
 それぞれの人生に焦点をあてて忖度するのも疲れるわけで..
 
 人は誰でも
 与えられた状況の中で試行錯誤しながら
 より良い方向性を求めて努力する
 という共通の作業をする中で
 両親は未熟だった
 としか言いようはありません..
 
 その未熟さと愛情の有無は別次元の話
 人としての未熟さは
 時に 善意であっても過失を起こし
 害を及ぼす
 ということの理解の大切さを
 両親から学んだような気はします...
 
 未必の故意
 
 

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「井の中の蛙」or「お山の大将」

2024-10-24 | 2024年
 
***************************************
「井の中の蛙」と「お山の大将」は
 どちらも狭い範囲で得意になっていることを表します
 ***************************************
 
 の つづきのようなお話です。
 
 ある時 兄が回顧して言いました..
  中高生までは
  親父が自慢で 大好きだった と
 兄もまた 挫折を味わった一人だったのです
 
 5歳離れた兄は
 中学~高校まで野球に没頭して
 高校時代は 甲子園一歩手前に至る強豪チームで
 強打者として地域で話題になっていて
 両親は忙しい稼業を営みながらも
 息子の支援に夢中でした
 
 その頃姉は、
 すでに大学生で 都内で生活をしていたため
 残された家の中で
 兄は 話題の中心でヒーロー
 
 そもそも
 子どもの時分から「お山の大将」だったから
 近所の子どもたちを引き連れて
 妹をターゲットに戦いごっこ などなど
 わんぱく過ぎて
 ご近所の男の子の親御さんからも
 頻繁に 苦情を言われるキャラ
 
 本人は何も悪びれず
 持てる腕力&体力が余りあっての発散
 
 それが
 高校野球で開花して
 そのまま 六大学リーグの某大学野球部に入る結果となる
 
 
 そこからが兄の挫折の始まり(?)..
 兄が認識したことは
  自分は「井の中の蛙」であった 
 ということ
 
 私にも同様の経験がある..
 幼少期から
 「他の子とは違う」という「特別意識」を抱かせる
 そういう家庭の状況があった
 
 当時は
 ある意味選ばれた人だけが習う「ピアノ」
 それが
 たまたま 私の母方の親族に音楽家が多く
 私の意思とは無関係に
  当然その道に進むもの
 として音大受験までのレールを敷かれていた
 
 けれども
 わが家では 兄の存在が大きくて
 私は
  放っておいてもそうなる
 と思っていたかのような放置を受け
 私の悩みや心に寄り添ってくれる環境は無かった
 
 いや
  「環境は与えた(与えている)」のだから
  適応できなかったあなたが悪い
 とでも言うかのような
 私にとっては
 孤独で非常な扱いだった..
 
 だから
 いざ 音大受験の準備として
 全国的な講習会に参加した際には
 まさしく
 「井の中の蛙」であった自分を卑下し
 同時に
 自分の家庭環境(=特に母親)に対する嫌悪感が
 一気に噴出する結果に至る
 
 (つづきは また後日)
 

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私は良い子ではなかった..

2024-07-11 | 2024年
 良い子 悪い子 ふつうの子
 ある時代
 司会者が応募はがきのエピソードを基に
 笑いを取るような判定をしていたコーナーが人気でした..
 
 笑えるレベルなら まだ良し
 
 **************************
 
  二巡目の人生を歩んでいる私
 (還暦を過ぎた と言う意味です)
 
 お浚いをするかのように
 幼かった当時の自分を振り返りつつ
 懐かしかったり..
 恥ずかしかったり..
 後悔も多い
 
 幼いころに多くの時間を共に過ごした
 従妹のことを時折思い出す..
 年の離れた姉兄の居る末っ子の私にとっては
 唯一の 妹のような存在
 でも
 彼女は 長女
 
 各家庭内でのポジションによって
 年下ではあっても
 しっかりと 母親の手伝いをしたり
 何事も器用な従妹
 
 片や私は
 家の中では放置された存在で
 特に母親から家事などの教えは何も受けていない..
 
 求められてきたことは
 前例(=兄姉)の基準に従って
 その水準(=世間的な評価)を下げないこと
 
 等身大の自分を評価されたという実感がなく
 いちばん下で 片隅の存在だった..
 それは
 ある意味「死角」の環境下で生きていたようなもの
 
 だから
 自由になれる(できる)存在を自由に操ろうとした
 そう その一人が従妹
 
 でも
 従妹は気立ての良い 優しい子
 かつ 長女でしっかり者
 それが 良かったのだろう
 私の 悪気の無い浅知恵による提案にも
 単純には乗って来なかった(笑)
 
 私は 唯一自由に扱えそうな従妹に
 ある時は誰よりも親しみを抱きながらも
 一方では
 完全には自由にはならない年下の子に
 イライラする感情も多々あっただろう
 と振り返る
 
 大きな意地悪行為はしてはいない(詭弁?)
 とても可愛いいと感じつつも
 自由にならない相手に
 悟られないような悪感情は抱くこともあったろう..
 
 そんな自分を反省するからか
  きっと従妹は
  幼い時分の思い出として
  私には良い感情は抱いていないだろう
 と 未だに思う..
 
 成長とともに
 身近な存在でありながら
 母親の求める価値感の違いの影響で 
 進路も異なり 距離感が拡大した
 
 私は
  他の人よりも卓越した存在である
 ということを自画自賛され
 経済的にも 教育的にも
 そういう環境下に追いやられ
 ある時期までは
 酷く歪んだ優越感の中に居たように思う..
 
 

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ふと 思う..

2024-05-31 | 2024年
 
 *****************
 最近
 息子と語り合ったこと
 *****************
 
 結局のところ
 人は
 常に “自己選択” をし続ける生涯である
 しかしそれは
 その “選択の自由” が
 最低限保障される社会でなくてはならない..
 
 子どもが育つ “家庭” には
 経済的or親の学力などの差があったとしても
 それらは
 必要以上に他人と競うための手段ではなく..
 いかに 自分が満足して生きられるか
 というだけのことにしか過ぎない
 
 大切なのは
 子どもにとって安らげる環境があるか? 否か..
 
 貧しさを共有していた時代(第二次世界大戦前後)の頃と
 現代に至るまでの各時代とを比較して想像すると
 結果的には
 物は豊かになったように思えても
 反比例するかのように
 人の心が衰退して行っているようにも感じる
 
 特に..
 高度成長期を境に
 バブル時代の崩壊以降は
 経済の伸び悩みも影響して..
 子どもが育ちにくい社会に至っているように思える..
 
 
 豊かさとは何を以てそう言うのか?
 
 人間の欲深さが招いた社会現象は
 物は溢れて一見豊かなようでありながら
 それらに振り回されて
 不自由になっている時代のような気もする..
 
 生涯という想定は
 人間だからできることではありますが..
 そもそも
 生まれて来る家庭から始まる環境も
 ある意味
 何らかの理由で “自己選択” したもの とすると
 それから後のすべて(日常)は
 毎日 “選択” に基づいて “分岐” し続ける..
 
 絶対 という決め手があるわけではないのに
 執着してしまうからこそ
 親であれば
 わが子の絶対を鑑みて夢を託すために
 経済活動をしているようなもの

 果たして 絶対と言えるものがあるとすれば
 人は必ず死ぬ
 それが必然的な前提であることの意味を
 まず教育するべきであると思う..
 
 そして
 死ぬまで生きる ときに最も大切なのは
 自分の身体考える知恵
 
 表面的な教育ではなく
 当たり前に密着している必然を
 もっと しっかり教育することが望ましいのに
 幻想ばかり追い求めて
 地に足のつかない偏差値教育など..
 何の意味もない
 
 と つくづく思う今日この頃 の話らぶ②
 

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家庭

2024-03-14 | 2024年
 
家庭(かてい)とは、
生活をともにする家族によって営まれる集まり、
および家族が生活する場所を指す。
家庭は、「家族が生活を共有する場」であり、
社会の最小単位である家族と、
家族が生活する場を内包する概念である。
 
 
 物心がつく(2~3歳)ころから
 私は
 自分の家族(家庭)に
 漠然とした[違和感]を感じていました
 
 何が? そうさせたのか..
 長い歳月
 その起因となるものを理解できず
 そのつど起こる[違和感]による反応は
 家族の判断として[わがまま]という結論に..
 
 確かに
 物事の善し悪しの判断基準が曖昧な年ごろだと
  なぜ? 否定を受けなければいけないのか?
  なぜ? 規制を受けなければならないのか?
 そのことへの説明が成されなければ
 全てが納得の行かないことに通じてしまう..
 
 まして
 私の場合 末っ子で
 上の姉や兄が許されていることは
 自分にとってもそうであるのが自然..
 そう思って成長して来たから
 やがて
 姉や兄の経験に近づく年代になって
  あなたはダメ
 と 妨げを受けることには不服でしかない..
 
 しかも
 先に経験した姉や兄までもが
  この子には これはダメ
  こうした方がイイ
 と..
 自分たちの経験からの助言のつもりなのか?否か..
 
 さらには両親がその意見を取り入れて
 姉や兄の世代とは異なる世代感を持って生きている
 私の時代の概念を認めない..
 
 そんな家庭環境の中で
 私は 多くの意見に翻弄され
 また
 家族以外の人にも翻弄され
 挙句は
 経済的な不遇に落とされ
 もはや 私にとっての思春期は
 問題を抱えた大人たちばかりに囲まれて
 それぞれが
 自分の生活だけで精一杯..
 
 これから さまざまな判断をして
 これから 自分の生きて行く道筋を決める時には
 家庭の現状を突き付けて
 周囲の勝手な理屈に翻弄される
 
 そんな中でも
 自分なりに活路を見出して
 自分の目指したい道を望んだけれど..
 勝手な否定と勝手な決定によって
 私が家庭を思いやってのことなど
 認めることもなかった..
 
 誤解に渦巻く家庭の中で
 自分の真実を訴えても
 だれひとり
 理解して手を差し伸べてはくれなかった..
 
 

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