トラウマは
単なるストレスとは意味が異なり、
過去に起こったストレスフルな事象が、
後の人生に
様々な影響を及ぼしているような意味で使われます。
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つい先日も
両親について語り合う機会がありました。
相手は 兄嫁です。
三人の子どもたちの中で
姉と妹に挟まれた長男のお嫁さんは
最終的には
姑(父)の最後を世話してくれた人..
結局のところ
私も姉も
娘でありながら 諸事情も影響して
父の末期の世話を 兄嫁に押し付けたようなもの
姉と私は 10歳もの開きがあって
それぞれが見てきた親の様子
家庭に対する印象も概念も全くそぐわない..
戦後のベビーブームの姉の時代と
その十年後の高度成長期の最中に育つ私とでは
社会全体の雰囲気はまったく質が異なり、
子育てをする両親(特に母)は
末娘の私の時代には順応できていなかった...
末娘の私の時代には順応できていなかった...
というか
母の子育ては長女で終わっていた
では 間の兄はどうだったのか?
と言うと..
やんちゃで 憎めない活動的な男の子だったため
母にとっては 自慢で可愛い息子であり
野球少年だった彼の活躍のために
彼には常に特別待遇だったし..
その後
大学の野球部の合宿所生活をすることを機に
自分の手元から離れた息子には
当時抱えていた家庭の諸々の雑音は
一切伝えないで!
と 私に強く示唆する
結果的に
もっとも大切な家庭内の状況については
すでに嫁いでいた長女にも
兄にも
一切漏らさない という態勢を強いられた私..
高校生になったばかりの私にとっては
何の力にもなることもできず..
上の二人は
母親の偽善にまみれた愛情を受けて
それに対して見当違いな感謝 否、
当然だという受け止め方?は
何も事情を把握していないからこその
やむを得ないことだった..と当人たちの論
当時、
私という 取り残されたような末娘の心情には
誰一人として
的を射た寄り添いをしてくれる人は皆無でした( ノД`)
そんな私の苦境の時代
ですが..
その当時は誰しもが
あの子はわがままで
あの子は捻くれている
と 散々な人格否定を受けたのでした( ノД`)
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後から参入の兄嫁は
当時の私の目には
周囲の他の人同様で
身勝手で その場限りの偽善者
としか映りませんでした
けれども
自分たちの暮らしが一段落して
父の晩年に寄り添った時に
ようやく 過去の経緯も見えて来た
という自責もあってか..
(没後になってからではもう遅いのですが( ノД`)
過去の話を いろいろと
過去の話を いろいろと
私に詮索してくるのです(^^;
私としては
単に 「両親は未熟だった」
としか言いようもなく..
その背景になるものは 根深いものがあるため
祖父 祖母 父 母
それぞれの人生に焦点をあてて忖度するのも疲れるわけで..
人は誰でも
与えられた状況の中で試行錯誤しながら
より良い方向性を求めて努力する
という共通の作業をする中で
両親は未熟だった
としか言いようはありません..
その未熟さと愛情の有無は別次元の話
人としての未熟さは
時に 善意であっても過失を起こし
害を及ぼす
ということの理解の大切さを
両親から学んだような気はします...
未必の故意