汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れちまった悲しみに
たとえば狐の皮衣
汚れちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる
中原 中也
十代のころ 中原中也の この詩 に出逢った。。。
以来 『汚れちまった悲しみ』 という表現が 妙に心に刺さっている。。。
人それぞれに 悲しみを秘め, また その深さは様々。。。
そして その悲しみが 他人に理解されないまま・・・
歳月を経ても なお 癒されることが無かったら・・・!?
その人は 単に 傷つきやすいというだけの人なのでしょうか????
『未必の故意』 という 法律用語を 大学で学んだ。。。。
専門ではなかったけれど
なぜか!? それについての講義だけは 興味深く記憶している。
『無意識の意図(悪意)』 というものを 時折 人は 発揮してしまう。
否、『無意識』を 装う という
もう一つ 手の込んだ作為を 働かせてしまうことがある。
それが 万が一、 他人に危害が及ぶような結果になれば,
『未必の故意』 という罪を科せられる。。。
しかし,もっとも罪深いのは・・・,
完全なる『無意識』 『無頓着』 『無神経』 etc.
自分と関わった人が どんなに傷ついていても
自分には 何の責任も無い・・・・と 思い込んでいる人!
けれども そういう人を 法的に罰することは 難しい。。。。
もし?
そういう相手と出合って 深い悲しみに陥るような出来事があったとしたら・・・
それを 歳月とともに昇華することができ無いままに
抱え込んでしまっているとしたら?
『汚れちまった悲しみ』 という言葉には
そういう長~い苦悩を感じさせるものがある。。。