The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

相殺(そうさい)

2012-07-09 | 2012年

 

相殺(そうさい)

   貸し借り・損得などを 互いに消しあってゼロにすること


主として 金銭関連の債権に関わる用語として使われるものですが、
人と人との感情の行き違いの場合にも
どこまで行っても平行線の一途を辿るのではなく、
自分の心に踏ん切りをつけるためにも
時として・・・・、 あえて 『相殺』 する決断も必要なのか と思います。

誰でも・・・、自分の正当性を他人に理解して受け入れてもらいたい
それが人情というものでしょう。。。。
けれども・・・、
それにばかり固執することは
自分を見失うことにも通じていく。。。。

だからこそ、
自ら距離を於いて 客観視する裁量が 人には必要なのです。。。

or ではなく・・・、
何が良くて?   何が悪かったのか?
今ある現象(=状況)は、何事も 起因が無ければ生じ得ないこと。。。。

正しい と信じて歩んで来てさえも
いつしか はじめに求めた道(=こころ)から 遠ざかっているときもある

だからこそ、
折に触れての 検証(=自省) が 
その人の その人となりの 責任になってくるのだろうと 思う。。。


何度でも 修正すればいいんだ
何度でも 失敗して
何度でも 希望を新たにして
何度でも チャレンジすればいいんだ


相殺 とは 相手との間のことばかりではない。。。
自分自身の 過去と未来を 相殺する
そうすることによって また 新たな自分が 見出せるのではないでしょうか。。。

 

 

 


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You raise me up!

2012-05-18 | 2012年

 

You raise me up

When I am down and, oh my soul, so weary;
When troubles come and my heart burdened be;
Then, I am still and wait here in the silence,
Until you come and sit awhile with me.

You raise me up, so I can stand on mountains;
You raise me up, to walk on stormy seas;
I am strong, when I am on your shoulders;
You raise me up... To more than I can be.

落ち込んで、心が疲れている時
困難が訪れて、気持ちに余裕が無い時
私は静かにここで待つわ
あなたがやってきて、私のそばに座ってくれるのを

あなたが支えてくれるから、私は山の頂に立てる
あなたが支えてくれるから、私は嵐の海も歩いていける
私は強くなれる、あなたが支えてくれるから
あなたが支えてくれるから、私はいつも以上に頑張れるの

 

☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜* ☆*゜ ゜゜*☆*゜ ゜゜* ☆*゜ ゜゜*☆

 

 

男女を越えた人間関係を感じさせるように思います。

人と言う字は・・・って
当たり前すぎる言葉ですけれど・・・、
人は 独り(一人)で立つには 不安定な生き物なのでしょう。。。

「人間は考える葦である。」 
とは パスカルの名言ですけれど
「人間は自然の中で最も弱い一本の葦である」 とも。。。

一人でも 考える知恵を持つのが人間ですけれども
一人よりは二人、そして 三人・・・と 寄り添える相手がいることが
どんなに心強いことか。。。

人と人との絆=心の結びつきは 価値観が一致することだけではなく、
たとえ異なる価値観=個性であったとしても、
その奥に潜む心の源を理解しあって 認め合える関係になれれば
もう、誰も孤立することはなくなる。。。



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社会人基礎力

2012-03-31 | 2012年
 自己主張
 自分自身の意見や考えや欲求などを、他人に伝えること。
                       (実用日本語表現辞典)
 
 ==========================
  
 
「経済産業省」 が 2006から提唱している 
社会人基礎力 という概念に基づいて
 それ以後の学校教育は、
 小学校・中学校・高等学校のそれぞれの年代に応じて
 将来、社会人として自立する時の
 基礎的な人間力の質を高めようという試みが始まっています。
 
 この背景には、
 ニート という言葉がはびこった時期があり、
 また 引きこもりやフリーターといった
 社会で自立できない若者が増えたことが関係しているように思います。
 
 さらには、
 大学を卒業した新卒採用者の定着率が低く、3年足らずで辞めてしまう・・・
 そういう傾向の多くが、
 学力偏重教育の弊害 と 豊かになった家庭内の教育(躾)の低下 などなどが原因で、
 結果的に自立できない若者層を育てて来てしまった
 という 反省から
 新たな人材育成 の指針として、
 学校教育の場でも社会人基礎力 という考えに基づいた体験を
 小学校から取り入れるようになりました。
 
 小学校ではどのように取り入れているのか? はわかりませんが、
 思い返せば・・・、息子の中学校では、
 息子の学年から唐突に、職業体験 という授業が取り入れられたのは、
 この 社会人基礎力 に関連したものだったのだ・・・と納得しました。
 (中学校では、現在もなお、2年生を対象に「職業体験」 をさせています。)
 
 普段の学校生活とは異なり、   
   事業所の始業時刻までに「通勤」し、
  「勤務」 という 時間の拘束を受けながら、
   働くことの辛さ や 大切さ を体験させることで、
   現在の自分たちは 必ずや社会に出て 
   何かしらの仕事に就いて
   人の役に立つことに喜びを感じ、 
   結果として自分の暮らしが充実する 
   というものの考え方を 子供の頃から身につけさせよう 
 という趣旨の一環のようです。
 
 
 ところで!
社会人基礎力 というものは 具体的にどういうものか?
 というと
 大きくは 3つの能力 を指しており、
 それぞれを細分化すると全部で12能力要素になるようです。

    ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

  前に踏み出す力(アクション)
     ・ 主体性
     ・ 働きかけ力
     ・ 実行力
  考え抜く力(シンキング)
     ・ 課題発見力
     ・ 計画力
     ・ 創造力
  チームで働く力(チームワーク)
     ・ 発信力
     ・ 傾聴力
     ・ 柔軟性
     ・ 状況把握力
     ・ 規律性
     ・ ストレスコントロール力

 

 いわば 
 総合的にバランスの取れた理想的な人間性を求めているわけですが、
 これらを完璧に持ち備えることは至難ではありますけれども、
 子供が成長するまでに関わる様々なシチュエーションの中で
 折に触れて 一つの指針としての一助にはなるのではないか・・・と思いました。
 
 あえて書き出すと 難しいことのようですけれども、
 案外に 人として自然に兼ね備えられてゆくべきもの 
・・・という気はしないでもありません。
 
こういうことは 一朝一夕には身につかないものですからこそ!
思春期の過ごし方の大切さ を 痛感してしまいます

 


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完璧主義

2012-03-27 | 2012年
 
 『完璧』 の 『』 という文字は、『壁』 ではなく、
 『玉』 を 意味した 『璧』 と 書きますが、
 『完璧』 とは 『傷のない玉』 のことを示していて
  それは
 『完全』 という意味よりも完成度の高い状態のことだそうです。
                         (語源由来辞典 他より)
 *****************************
 

完璧主義(かんぺきしゅぎ, Perfectionism)とは、
定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、
精神状態のことである。
このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者
もしくは完璧主義者(perfectionist)と呼ぶ。

その程度(時間に対する気配りや周囲への迷惑を顧みない状態等)によっては、
精神医学では精神疾患のひとつともされることも多い。
                              (Wikipedia より)


 親となった喜びとは裏腹に
 「親としての責任」 というものを考えるようになると、
 まずは 物理的(生活の)保障という意味で
 経済的な負担を課せられるのと同時に、
 「人を育てる」=「社会に送り出す」 ということにおいて
 なにかと試行錯誤をするようになるものです。

 「子育ての環境」の一つとして「家庭」というものがあって
 「両親」の価値観の影響を受けながら子供は育っていくものだ
 と思いますが、
 幼稚園 や 保育園 に入る頃から
 他人の手による影響(刺激)を受けながら
 自分で学び 自分で育っていく(=育ちの概念))という
 子供にとっての「社会経験」は、案外早くから始まるもの。。。

 結局のところ、
 親ができることは「サポート」することしかなく、
 子供を大切に思うのならば、まずは その子に寄り添い、
 その子の置かれた環境に関わる人々に寄り添う・・・
 そういうことなのだろうと考えてきました。
  
 何よりも 一番ありがたかったのは、
 市立保育園の先生方の折に触れた言葉のエッセンスでした^^

 とくに
   ○ちゃんの 現在(いま) を 一緒に楽しんであげてね
 という言葉は、私の子育ての迷いを一掃させるものがありました

 当時の市立保育園は、最高? 最低?に 汚く、
 否、最低限 かつ 最大限の 衛生の確保はされてはいるものの
 幼稚園のようなカラフルな教室ではなく
 若くてカワイイお姉さん先生など皆無
 母親たちよりも ずっと年上(年配^^;)のおばさんばかり(失礼)
 はじめての子供を預ける場所としては
 かなりの勇気を振絞って 諦めに近い覚悟がなければ
 とても預けられないような施設環境でした。。。
 (以前、(最初の迷い・・・)にも書きましたが
          けっして大げさではありません

 けれども
 そこからすでに
  親の価値観によって選択された環境を宛がわられて
  子どもは順応して育つ
 ・・・ということを
 息子を通して 学んで来たように思います。

 その経験からしても
 『完璧』 なものごとなんて
 まずは 事前から望むべきことではない
 ということを理解し、同時に 
  どんな環境(状況)にあっても
  自分にとって良好なものにつくり変えていく
 そういう順応性を養っていければ
 絶対にこうでなくては嫌だ というような
 わがままな完璧主義 には陥らなくても済むような気がするのです。
 
 その背景には 『概ね(おおむね)」』 という
 いわば ざっくりとしたものの捕え方が必要なのか
 ・・とも思います。

 それは
 見る側(=客観的に見る)として、
 そういう見立てで居れば、
 人に多くを期待しすぎることもなく、
 子育てで言うならば、
 余裕をもって子供に寄り添ってあげる
 ということなのかと思って来ました^^

 その子育て観が 成功したか? どうか? は
 未だ明確ではありませんが..
 『概ね』 においては、
 同じ方向性を揺ぎ無く進んでいるようですし
 それぞれの時期に達成する目安には至っているように思います
 
 私の職場に 自称 『完璧主義』 を宣言している ある女性がいますが、
 残念ながら
 周囲の評価は芳しいものではありません
 
 仕事の中身だけを観れば、
 当然ながら大きなミスをするタイプではありませんし、
 相手が望む以上の形を示してくれることも多いのですが、
 周囲から敬遠されがちな存在であるという傾向があって、
 彼女自身は それを
 「周囲のレベルが低い」と考えてしまっているところがあり、
 何かにつけて不本意な事態を強いられて来ている
 ・・と 考えているようなところがあります。
 
 最終的には、
  過ぎたるは猶及ばざるが如し
 という 一言に尽きるのだろうかと
 彼女の状況を見ながら思うところです。。。

 『概ね』において『完全』ならば
 『完璧』でなくても
 相手が善しとすれば 善しとする

 私は子育てを通して
  人には寄り添い、 委ねることの大切さ
 というものを
 教えてもらって来た自分がいるような気がします 
 

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和魂洋才

2012-03-12 | 2012年

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る

           - 高村光太郎 『道程』

 

息子の高校の卒業式で 校長先生からの祝辞の中に
ルネ・デカルト(フランス哲学者&数学者)の
『方法序説』からの引用がありました。

 数学の問題なら また時間を置いて考えるということも可能ですが、
 これからの人生においては ほとんどの場合
 即座に回答を求められ 行動に移すことを強いられることの方が増えてきます
  
   もし?森の中で道に迷ったならば、
   そこに立ち止まって何も行動しないよりは
   とりあえずの道を定めて 信じてその道を進む方が良作である

   誰もはじめは 自分の選択が正しいかどうか? などはわかり得ない
   しかし、信じて進むのと同時に
   やがて行き着く頃には 『この道は正しかった』と確信が持てるような
   努力を惜しまないことだ

といった意味のお話でした。

卒業とともに母校から羽ばたいて行く生徒たちへの
心のこもった餞の言葉に感動しました。

まさしく 僕の前に道はない 
    僕の後ろに道は出来る


新たな道への一歩を踏み出さん いざ!

 

 **************************************

「和魂洋才」・・・Web参照

 ●日本古来の精神を大切にしつつ、

  西洋からの優れた学問・知識・技術などを摂取・活用し、

  両者を調和・発展させていく

 ●日本人が伝統的な精神を忘れずに西洋の文化を学び、

    巧みに両者を調和させること。

 


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