65オヤジのスタイルブック

哀悼 星野仙一氏

星野仙一氏の訃報に誰もが驚いたと思います。

荒木選手の2000本安打達成の時に、テレビ中継のゲストで登場し花束を手渡した元気な姿から、まさか、すい臓がんで70歳で亡くなるとは想像できませんでした。

物心ついた時からのドラゴンズファンの僕にとって、忘れられないのは1974年の20年ぶりのリーグ優勝。当時中学生だった僕にとっては、ドラゴンズ優勝は当然初めての経験です。小学生の頃のファンだった島谷選手がサードライナーをとった瞬間、仁王立ちの星野選手に捕手の木俣選手が抱き着いたシーンは、今も鮮明に残っています。

そして1986年の監督就任。戦後世代では初の監督で1988年にリーグ優勝、1999年の名古屋ドームでのリーグ優勝と2度のリーグ優勝を果たすも日本一は果たせなかったものの当時のファンは、星野氏はドラゴンズの象徴でした。

その星野氏が、阪神タイガーズの監督に就任したときは、僕も星野氏への思い失せていました、タイガースでもリーグ優勝を果たすも、念願の日本一には及ばす、その後、楽天監督時代に日本一を果たした時には、もはや星野仙一=ドラゴンズは完全に消え星野氏に対する思いも薄らいでました。

しかし、突然の訃報に星野氏の指導者としての功績をひしひしと感じています。今の時代、燃える男、星野仙一のような監督は存在しないし、その後も生まれないと思います。

選手としても監督としても昭和を代表する記憶に残る野球人として輝き続けると思います。星野さん安らかに、青春時代のすばらしい思い出をありがとうございます。


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