東京オリンピック、開幕。
ともかく紆余曲折あっても開会式は、何とかというか、滞りなく終了。期待感が薄かったのは逆説的に良かった部分はある、ゲーム音楽が流れても、何の違和感も無かった。
良くも悪くも、出来その物は、自分の言う「高いクオリティ」そのベクトルには向いていた、そこは、文句を言う部分では無い。
アートスケールで見ると、大体84点前後、という感じではある。
「東京五輪2020開会式」
主題 7復活
情景 10五輪
描写 9エンドユーザー視点で
注意 10ゲームや漫画がメイン
主張 8”個々の力”の結集として
矛盾 8個々は描かずに。
技術、個性、一般、独自、それぞれ8点位、計84点。
特に「オリンピック開幕」に関しては、非常に良く表現できてて、過去にこれだけオリンピック!を意識した開会式は無かった、感じはある。導入からの演出の妙、だ。現場の人々の復興への、雑多でまとまりの無い、しかし指向性を持った意欲が、再びオリンピックへの扉を開いた。
漫画やゲーム、それらは”個人作業の帰結”として有る文化だ。”そう言う物”によって、そう言う物の結果が、そして世界中から集まって、平和の祭典、それは開かれる。
選手の入場シーンに流れたゲーム音楽は、奇妙な位に良く、合致していた。
「オリンピック」である。戦争では無く、人々の意識が”一つの目的”の為に集う、その祭典。復活せねばならない、それは今、日本だけじゃない、世界中である。その意味で、参加する全ての国が、奇妙な存在感と、そしてテンションの中には有った。この場に参加する事にこそ意義がある、それは今回、非常に強くは感じた部分。
ドローンによって地球が形成されるのは、その結論としても象徴的な絵だった。
様々な点で、「アートスケール」その観点では、非常に出来の良い開会式だった、とは思う。とは言え、「漫画」それが、結局は個人創作?その発展でしかない、というその限界か、定理か、そう言うのも感じない事は無かった。求めていたのはワールドワイドなパワー!である、米粒の集合、そう言うのじゃない、そう言う声は、少なく無かったろう、それは想像する。
ともかく「流れたゲームミュージックのアルバムはいつ出ますか?」がネタとして活気づく位に、今までには無い位に、印象に残る開会式には成った感じだった。復活、に関しては届いてない部分もある、観客が入って無かったのはやはり残念だった。選手らがあれだけ密に成って良いのなら、一席開ける程度でも何とかなったのでは、しかしまあ、最後にある映像には、一抹の不安は有る訳で。
劇団ひとりの演じる技術者?が、設備を私的に使って遊んでいた。人々が創ってきた施設、それへ火を入れるも入れないも彼の手の内にあった。それは何とか抑止された、が。復活、と言う視点では、観客は入れられなかった、そこは大いなる落胆、には成る。危険性はまだ残っている。
…そう言う現実はまだ、あるのだ。
使用イメージ
https://publicdomainq.net/robert-delaunay-0020958/
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10677976