それは同意も有る混沌だ。
画家が、どれだけ描いても、何?を描いても、客は買わない。
それがそうである限り、生活費は減って行き、やがては困窮する。
「俺を殺すつもりか?」
その呟きの是非は、何処に向いているのか。
状況は様々だ、画家は何かの権力に逆らってるのかもしれないし、単純に客が好ましいと思う物を描いてない、だけかもしれない。この場合の想定は後者だが、前者と言う可能性が無いとも言えない。画家の中では、やっぱり自身の立場を前者には置くだろう、そして結局作品に、その呪詛は載っていく。
「貴方にとって面白いか否かは関係ない、これを買わないと言う事が間違ってるんだ!」
あまり、近づかない方が良い感覚の…発生点ではある。
良くも悪くも、何だかつい「SUPER DRINK BROS」を購入してしまい、何かの安堵感には有ったりする。見た通り、悪くない、そして奇妙さのある「なんで?」にも苦笑はある。推察と言うか、このゲーム、土台に自分が創った「350ml缶の3Dモデル」を、その足場にしている(と思う)。”それ”は3DCGのコンテストページ、に提案した?物で、運営側から一つの3Dオブジェクトを提供し、”それ”を題材にしたCGを創って貰い、ユーザーの投票か閲覧数を見る、と言うモノではあって。ページその物は続かなかった、それが当時の「ユダヤ教の王」その存在から来るのか否かは解らない。ともかく、”それ”を下敷きにする時、良くも悪くも、そこには何かの道理?はある、様だ。
このゲームの発展を、ちょっと思いつかない。
普通なら「これでキャラが格ゲー的だったらSF2出来るんじゃね?」とか思うのだが、そこが何だか、上手く当たらない。空き缶的なモノだからこそ、”後ろから見てる”事に違和感が無い、突飛な技にも文句が無いのだ。その上で、”そこ”に込められた物は確かに格ゲー的なイメージだったろうか。この突飛な組み合わせが「面白い」と言うのに奇妙なエポックを感じ、そして通常のストリードの連携、”そこ”に無い「可能性」?と言うか例外的事例、そう言うのを見たりはする。ともかく、土台が空き缶の3Dモデルではさもありなんだ、これは”このまま”が良い。制作側のスキルはまあ、問題ない?感じ。
この”特異な感じ”を肯定するべきか否か。
「システム2再生計画」が起こるとしたら、”これ”はまあ、色々あってその計画を後ろから支えるモノに成る、と言う事でオチなのかもしれない。想定通り、「古い世界」それを象徴し支えるモノだ、としたら、それは「王の権威」の、公表された非営利作品が”こういう利用をされてる”全てを、或いは肯定し得る。そう言う世界が昭和であり、何かの可能性を感じた時代であり、突飛なモノがヒットしたりする、そう言う現象が有った、そう言う原理かもしれない。「ストリードの連携」では、やっぱりどうも、予定調和、綺麗ではあるが道理でしかない、そう言う物しか出来ない、かも。売れるモノを期待し、オーダーを出す、そこには売れた事実こそが参照される。「面白い」とは、定番のみだろうか?そこには、疑問は少しある。
とは言え、年末に遊んでるモノが”これ”と言うのも何だかな。
この領域は、必要なのか、或いは。