あげちうのブロマガ

信じた神が与えたもうモノ

全然理想通りじゃない。これが昭和天皇の境遇だったとしても、だ。

”それ”を目指した訳じゃない、自分はもっとアクティブな感じを目指したのに。

…それは、今考えると”邪魔”でしかない、かもしれないが。

結局、ゴーン氏は追放されてしまったし、結論で言って会社の社長が現場で指揮を振るうべきか?は時と場合に寄る。公称ではろくな成果が無い、”それ”を足場に次を、へ進んでいかない。ただ、多数決に流されるか何かの様にその場に座っているだけ、という絵は、ちょっと微妙に否定してた、そんな何かでさえ有る。

色々と、犬よりはマシかもしれないが、「だから我慢しろ」も、何だか微妙だ。

実際には自分は、何の立場も無い、底辺ブロガーでしかない訳で。せめて越後のちりめん問屋を名乗りたいが長屋の傘貼職人だって難しい現状ではある。「そんな事してて良いの?」に対しての返答が、「私は王の権威なんで」それはもう、ちょっとヤバイ。現状、普通に考えたらもっと違う事に注力すべきだが、把握は、それに進めばむしろ破綻する可能性しか見せない。世間は重大な分岐点にある、この際に出来る最善とは何か?それは、現状に耐えてじっとしてる事以上には無い、かも。

良識と現実とが、何だか言い争いと言うか、混乱している。

ともかく最終的には「人力発電機は有りませんか?」無いと困るのでは。そういう”それ”を世間が許諾しない?し、明確な返答も無い、と言うのはあって。”それ”を持って政府の無策、就職氷河期世代を創った原理とその対策か賠償を要求はし得る、かもしれないが。ともかくかなりの部分を政府レベルは捨てている、のは間違いない現状ではあって、この辺も何ともではある。

しかし、色々衝突する意向の最後に有るのが「お金を払え」なのが、やっぱり。

「人力発電機を設置して下さい」じゃないのだ、「金をくれ」以前の給付金をまた!と言う、そこにあり、その声が残る?のが、何ともストレスの一つとして消えない。自分の思想その他にしろ、「お金」それは、”仕事”の結果でしか”発生”しない。それをただくれ、と言うのは、道理に合わない。「職場が無い」なら幾らでも何ともなりそうだが、そこにある衝動はそれじゃない、のは?良くある話なのかもしれないが。

”それ”と同じ事を、「独裁創作」それは実は要求している、のだ。


「仕事は出来なくなった」層が、既にある程度ある、という事は、想像もし得る。社会貢献性に対して否定感しかない?と言うべきか、ともかく働いての利益、それを求める事が出来ない。額の問題だ、ある程度のクオリティの創作なら適当に出る、という話に成っているそれでは、でも彼らにとっては雀の涙よりも意味が無い。その様が、今のウクライナに重なってくるのは、果たして、ではある。


”神”に求めた物は、そう言う物の打開だったかもしれない。

”それ”は、否定されている。

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