社会的な「切り捨て」それは、その後で無くても問題を発生させる原理には成る。
”それ”を悪として断罪する時、そこにあるのは理不尽と凶悪な奈落でしかない。
という事を考え始めると、古くの「邪悪な軍団が攻めてくる、迎え撃て正義のロボット!」と言う構図は成り立たなくなる、訳で。ともかく?「マジンガーZ 」の存在は、「他国に侵略される」可能性をほぼ0にした、という快挙は、実際はあるのかもしれない。ただ?するとマジンガーZはもう活躍する場が無い、訳だ。奇妙にボロボロになっていくマジンガーZは、実際は何の比喩?に成っていたか、それは色々混沌はある。
ここから先は奇妙な混沌はある、需要はある?のに、商売に成らない。売れるのは、最初のマジンガーZだけ。流石に「日本が侵略される!」可能性、実感?そう言うのは今、感じる事は出来ない。「もうあいつ一人で良いんじゃないかな」良くネタにされるセリフではある、実際にそうだろう、開発者をして「マジンガーZは完璧だ」と言わせるそれは、逆にこの需要を一人で全て喰ってしまった、形にはなる。
この話をなんというか、スルーしてしまった?のが、今の「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」ではある。絶対悪の存在が王国を苦しめている、”それ”に加担していく人々も(期待される)人間性を失っていく、それらを倒さねば成らない、という理屈を、今の現状に展開している、というのは実際はかなりエポックだ。そこにはもちろんか、或いは何かの進歩した感覚、そう言うのはある訳で。
「マジンガーZ」の様な話も、実際はそうなのだろうか?ではある。何かの理解の変化、それにより、ここにある需要、それは再び掘り起こせるのでは?そんな事を少し考えたりはする。”神”という存在に反するモノ、それは悪だ。それを破壊するのは正義である。言葉にするとそう言う話だが、それは不意に最初の不安にも直結してる、そう言う問題だったりして。
”何”を倒しているのか?ではある。
ともかく今、「世界が崩壊する様な戦争が起きればいい」それは、プラスでもマイナスでも?ある。現状の混沌と鬱屈した環境、そこからの脱出だ。28年も研究室に閉じ込められてたチンパンジーが、表の世界に出て空の高さと青さに目を見張った、という映像があって。「その前に、なんでそのチンパンジー28年も閉じ込めてたんだ?」と言う疑問は、果たして”彼ら”の「お礼」を期待し得るか、不意には思った。
人間はまだ、その環境から外に出れてないのかもしれないのだ。