意外と、女性の要求だったのだろうか。
ショートサーキット出張版読み上げ動画6643
ユニコーンガンダムが、犬4機に喰われて負けました。
という「結果」に対して、奇妙と言うレベルの否定がまあ、ある。執着の密度が、理解する女性的なそれだ。
それはおかしい。
昭和初期に起こった悲痛の、一つの原理ではある、「そんな筈はない」クスィーガンダムは敗けないんだ、なのに。”それ”はしかし、ガンダムの、もちろんガンプラバトルでも、道理としては存在しない。
この辺の感覚は、昭和の頃のプラモデル?にも実際は有る。ガンダムのMSを題材にした、プラ駒を用いたシミュレーションボードゲームが出ていたのだが、このゲームでガンダム(RX-78-2)は、かなり、普通に負けるのだ。物語で有る様な、ヒロイックで期待される結果には成らない、ザクを前に大破して終わる、とか言う事態さえ有って。意識はされていた事だ、とは思う。
「漫画だから」
その大前提は、その感覚には微妙に許容し得ない。
そして、”それ”を求める先で、何かの歪がそこに有る。
どっちが先か、或いは「共産主義」それがそう言うモノだ、と言う事か。「”優秀”を選抜し、上に上げていく最後に居る一人は神に等しい」と言う、期待される結果には、実際には成らない。「優秀」と言う視点は、酷く主観的な物だったりするし、どうしても最後、右か左か?で等価な意向の衝突があるから、だ。ここで、両者を統合した同意を主観的に得る、事は最終的には出来ない。個人の意向で動く時、そこには半数以上の不満が魔物をそこに産んで、結局は破綻への導火線に成る。
ここの?いや形而上での現実、その現状でも、結果はちょっとストレスのある決定には成ってる、気はする。「経済対策は大事だが、”その前に”アダルトビデオの撮影現場、その改善改良の方が優先」強姦を許容する様な状態は許可できない。前者の推進の結果、後者の”それ”が害されるなら、前者は否定し或いは破棄されてもやむを得ない。「戦争を回避する」と言う観点で、ガンプラバトルの結果としてそう言う決定に成った、なら。それは不満は有っても、妥協せざるを得ない。
”それ”は、ユニコーンガンダムじゃないのだ。
この「切り捨てをしない絶対者」”全て”を救う救世主、と言うのは、個人として無理がある訳だ、個人の主観は何処まで行っても個人の主観でしかない、物理的なそれとは相いれない。そこに有るのは全てに適用し得る法、ルール、そう言うモノでしかなく、”それ”に人格を見ると言うのは、現実的じゃない。
もちろん”そこ”へ至った人?に、こんな説明が無意味だ、と言うのも理解はあるが。
昭和の頃は一時的とは言え、居たのだ。昭和天皇と言うそれは、経緯的にも「神その物」として、実際は有った。”その”意向を重視する所に利益と評価、才能と栄光があった。”それ”を護る事が、昭和の熱狂と言うか黄金期、それを創った…それはそこに、強い望郷を産む訳だが。
世界に目を向けなくても、昭和はそんなに良い時代だったか?ではある。
平成も酷かったが、それでも、同人活動が一大ブームに成る位に、自由さを許容した時代ではあったのだ。
令和に成って、色々と面倒な部分には理解と打開はある。”雅”市場によって金額的な「評価」はされる様に成った。「ストリードの連携」それにより、その環境下での永続的な需要、その形成にも成功?してる。何より神の数学的定理(0±0)と、「大賀さん」その想定により、「それは独裁だ!」と言う否定を回避し、独裁性の無い安定した決定、それを具現化はし得て。結論で今、「王の権威」それは必要無くなり、或いは”それ”の支援として存在したモノは、人の元から、その元へと消えては行った気もする。
それでもそれは、人類には、道路に捨てられた猫の様な、そんな状態なのだろうか。
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