話は単純なのだが。
つまり、「自分の作品が売れない」ので。
その時、「だって面白くないし」その反応に、どうしても同意できない。
その「同意できない」レベルが、それこそズォーダー大帝に特攻するヤマト、位に同意できない訳で。
今の理解としては、サイコロに対して涙を流して罵声を浴びせ「お前は間違ってる!」とか激昂する様な感じだが、相手にしたら、正に高笑いする大帝が…その前に居るのだ。頭の中の認識が、気づくと歪んでいて。だんだん、常軌を逸してくる。
とは言え、不意に感じる事に同意もある。
白を、白と呼ぶ事に決めた奴は、誰だ?
何故、白を黒と、いやピンクや黄色と呼んではいけないのか。”ここ”の帰結は単純で、「”神様”がそう決めたから」大衆、その共有認識として認知された「理解」と「呼び名」が、そう言うモノとして普及してるに過ぎない、が。この「神様」を否定すると?その理由が解らなくなる。自分が勝手にその認識や理解を定義しても、何の問題があるのだろう?
どっちが先か?は解らないが。その時、その人の造る作品は「何処がどう面白いの?」客側にそんな、シンプルな否定を呼ぶ訳だ。客側の、「大衆」の、神様の共有認識として理解出来ない、それは貴方の主観でしかないのでは、世間にとって何の利益が?
なんだと?
ともかく今までは、”これ”を止める手段はほぼ無かった。主観と主観の衝突でしかなく、その時「良識」は、選択としてはほぼ負け続けた訳だ、従わなければ殺す!相手と、まともに張り合うべきでは無い。とは言え、引き下がれば状況はますます悪化する訳だが。そうは言っても、”それ”も最後は現実にぶつかる。
面白くないんですけど。
客は「お金を払わない」見ない、と言う態度として示す訳だ。ただ、だからって歪みが補正される訳でもない。
その時の反応として、「貴方はヘタです」それで、相手は納得するのだろうか。
その時相手は、かなりの加害を背負っている可能性は有るのだけど。