ある種、逆転する視点はある。
「理想のマスコミ」それは何か?と言うと、実際は「ネットのブログ」かもしれない。
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利益性を期待せず、ただ、その信念?に基づくかの報道をする。如何なる陣営にも属さず、中立を守りながら、”人々に必要な情報”それを提供し続けんとする姿勢、それは正しい、と言えば正しい。
「正義は勝つ」それが事実なら、意外と個人のブログとは、メディアに対して脅威となり得る訳だ。メディアは「個人のブログ」を恐れ、その報道を矯正する必要に迫られる。
か?
現実問題、この言い分には深刻な疑問がある。そしてまた、これは或いは「ガンダム」上では”戦争”を続けている、様な状況かもしれない。それが戦争状態に陥っていたら?そこに利益の発生は期待し難い、消費するのみ、だ。もちろん双方ではある、が。その時勝敗が決するまでは、何かの窮乏そう言うのは、そこに有り続ける、かも。この時、視線は逆転する、ミャンマーの民主派デモ隊を弾圧している軍部、その姿勢は正しいか。「個人のブログ」と言う民衆は、大いに反発する。
相変わらず、ミャンマーの騒乱は出口の見えない混沌ではある様だ。
もちろん自分も、自分が間違っている事を書いているつもりは無いが。とは言え、自分も積極的に取材、と言う様な事はしない、のがぶっちゃけ信条でさえある、「考えれば解る」と言うのが何となく、自身の信仰の様な何かではあり。考察と事実、自身の視点そのすり合わせによる「理解」の蓄積で、今の把握はある。情報の信憑性、という点でそこは信仰に依存する、「大衆は神である」正しいなら、神は認めるだろう。間違いなら、相応の結果を自身へ齎す筈だ。結局、成否は発表した後の”感触”で判断しているのが現状、その点で、弱さは有る訳だが。
という時、現在の状況において、戦争状態、その是非ではある。
個人のブログまで含めて、メディアには何かの不可侵条約、そう言うのは不可欠だろうか?そう言うのは有るのか、有るとしたら、何処でどうやって結果に成り制定が有るのか。少なくともメディアのそう言うのはあまり聞かない、自由な発言と報道は、ネット上で衝突し、無形の戦争を発生させ、或いは利益を喪失し続けている、のかも。”双方”とも、それでは生存性に難が発生するとしたら、何処かで折り合いは必要になる、が。
カウンタ数値は当てに成らない、のが現状ではある。
報道の「勝利条件」それは、何処で判断し得るモノか?
”ここ”の主張としては、「ガンプラバトル」の様な、そんな公平でありつつ結果がハッキリ解る、第三者の介入がし難い、そう言う舞台ではあるのだが。
「大賀さん」その結果とは、果たして。
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