あげちうのブロマガ

希望を語り死地を目指すという愚行

「出来る」事を示そうとしても、逆効果な場合はある。

体操選手が人間に出来る事を示して「これが出来れば壁は超えられる」としても、そこには絶望しかない。

昨日のウィザードリィ風ゲームが可能だ、としても。結局、朝鮮その、「依存する体質」それを助長してしまうだけ、かもしれない。自分も言ってしまうタイプだったというのも問題だ、「出来る奴にやらせるべきだ」下手に任せて失敗するよりは良い筈、しかし。結局それは、その「有能」に仕事を集中させる事になって、そしてその有能に限界が来た時、その場は破綻する訳だ。しかし、回り番の様なそれでは、出来る作品とは…或いは国力に依存するだろうか。

一般論でなくても「アルカディア」それではまともなゲームは創れなかった、ゲームハードその物がゲームを制作する事に向いてない、というのは、追及すればするほど、そこにある真実かもしれない。

或いは、安倍首相は、”その先に”踏み込んだのだ?

そして、理不尽な「無能」に、「為せば成る」を言う結果、無能によって射殺されてしまった。

 

当然だが、朝鮮を、或いは今は韓国を「救う」というなら、韓国国民の手によって、である必要はある。他国の誰かを当てにするとしても、最終的にその人物は元の国に帰っていくのだ、そして世界はその後も続く。理解の問題だ、これが韓国で、この上で売れるゲームが創れれば韓国を救える、売れる為には「面白い」作品でなければならない、それはどういう?それを学んで、適用するつもりがあるか否か。少なくとも研究それは大事だろう、学ぶだけでは、結構すぐに限度にはなる。

だがその結果、「このハードはゲームを遊ぶハードじゃない」という断言は、”普通”に対して重い否定感と忌避感を呼び、結局は、意欲は不足し、結果も出ない、事に?

 

「アルカディア、このハードで売れるゲームを創れれば、後進国にも利益性、内需的なモノ、それを期待できる」それは現実、だろうか?今のところも「だったらいいな」そもそも物語の価値、というのも実際は”それ”である、「プレイする事で”相手”から感謝されたらそれが喜びであり”面白い”」事が、そのゲームを遊ぶ理由。しかし、インベーダーゲームはこの理屈から言えば真逆だ、「無理だった」事を企画側は求めた、向こうは呼び続ける、戦場で兵士を鼓舞し続ける軍曹のように、兵を募り、煽り、もしくは麻薬も処方させつつ突撃!と叫ぶ。そしてそれに煽られた兵士は、始まって3分程度で死んでいる、訳だが。

良くも悪くも、「そういうゲーム」しかなかったゲームセンターは、現在の有様ではある。ただ?自分の言う「良いゲーム」のベクトルが増えたら違うのか?それは、ちょっと解らない。「良い結果」としては、馬鹿を煽るよりは現実を教えてやる方が、よほど有益である。どっち?は結局、前例踏襲か権威主義か、その前にインベーダーゲームを今も、足場にはしているのかも。

後進国が、先進国から無理を要求され「断る」スキルは有益だろうか?

「アルカディア」このハードでゲームを創る意味、それは少し、暗雲の中にはある。

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