「あいつ嫌い」は、どうしても発生する。
そして”それ”を創作は技術分だけ、拡声器で広げ「命令」するようになる。
ちょっと混乱してる感覚はある、「アルカディア」でのゲーム創案、それは難しいのか否か?だ。先の動画でスペックを理解した後、ドラクエもゼビウスも無理、というのは解る、だろうが。問題はその先にある要求である。
「創りたいゲームは、大概作れない」のだ。
ただ、「ゲームが作れない訳じゃない」のだ。
「仕事です」その視点で、このハードの環境はゲームデザインとして「正しい」部分はある。ただ?今、だ。このハードでのゲームを求める人はどれだけ居るか?というと・・・ちょっとかなりマイナーではある。新型互換ハード、というかは提案はした、が。
「かむろぎ」側である程度動いてる?としても、ほとんど異世界の話ではある。
表側に有るのは単なる40年前の骨董品だ、として。意欲の問題として。
必要性は語れる、このハードは「後進国」状況としては朝鮮、”それ”をイメージしてる。この場に発展を齎せるなら、後進国は先進国の経済的侵略を防御し、或いは内需拡大も可能だ、という事には成る。その時?このハードで「遊ぶ」ゲームを買う、という事には重い意味が発生する。対価は「ありがとうございます」のみだとしても、”遊び”というのは、そういう物ではあるまいか?「面白い」なら、労苦に対してそれは十二分な対価だ。
でもそれを聞いて、制作側がやる気になるか?ではある。
もちろん?「作る気にならない」という事は、”この場”を防衛する、侵略を否定する、気が無い、という事にもなる。それはいつか、やがて無意識に彼らを侵略し、罵倒し、搾取する非道を犯す事になる。現状はその危険性はさらに高まってしまった、誰でもネットに動画をアップできる時代である。その中の”どれか”がその横暴を始めるか解らない、時。「”普通”の作品は認めない」「認証を受けたディレクターの元で制作された作品しか認めない」それは、先進国が加害者にならない為にも、必要な枷だ、という言い方には成る。
ちなみにこの理屈で言う時、最新かのハードはもちろん「先進国」を意味して、その環境の発展を期待してデザインされている、訳だが。”彼ら”に協力した方が、感謝だけじゃなくお金も得られたりしないか?”それ”が自国を食いつぶしていくとしても、自分の生活の方が大事ではあるまいか。
後進国の掘っ建て小屋で暮らす家にファミコンがあった、それにはそういう可能性もあった訳だが。しかしこの時、ファミコンは侵略をしないハードだったろうか。後進国は、自国の侵略を或いは受け入れてた事に成ってしまうのでは有るまいか。彼らが時折見せる「愚行」それは、誰の影響と責任なのか?だ。
「アルカディアで売れるゲームを創案できない人は、ディレクターとしては認めない」その作品は基本的に価値がない、そういう枷は、やっぱり残って居る、気はする。
世間の多数決が否定する、そんな壁の前に何だか自分は、責任者として居る、気もする。