あげちうのブロマガ

ウチが潰れる時は隣が儲かる時

今の問題は何か?というと「お金が無い」仕事が無い、ではある。

「働けば?」それは、意識の境目で諦める方と憤慨する方、それに分かれる事にはなる。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

「来週で閉めちゃうんだって、このお店」、やはり物悲しい話、ではあり。

 

理屈では、部屋にゲームソフトが千本を超えて存在しても、それは大して場所を占有しない。しかし?その一本一本が例えば5000円の値段をキープしているのなら?その部屋には500万円が置いてある、のと一緒ではある。その人はそれだけの資産持ち、ではある訳だ。長期に渡って出費し続けた、としても”それ”に対して損をした、という理解が無いなら?それは減っていない、増えた事には成る。こういう人が100人いれば5億円、10000人いれば500億円、100万人いれば5兆円である。”価値”に相当する物は何でもいい、家でも車でも掛け軸でも、だ。平均して一人が500万円の価値あるモノを所有し続けているなら?日本も500兆円くらいは余裕がある、訳だ。その分、市場は膨らんでいる事になる。そしてまた価値あるモノを買えば?価値は更に膨らんでいく事には。

なんで市場が冷えているのか?というと、この「価値」を、人々が保有してないから、ではある。部屋に500万円あった筈が、トータルでも10万円以下?では、うっかりしたらゴミにも等しい。ゲームソフトもガンプラも、面白くなければ価値が無くなる、思い出補正も失われれば、それはもうその値段を持てない。本来は次々と創り続けねば成らないのだが、”それ”が滞ると、割とあっけなく「価値」それは足場を失い崩壊していく。経済的危機そう言うのは、そこから始まっていく、訳で。

というのが”雅”市場の理屈ではある。ともかく「大衆は神である」問題なく売れればいい!って理解が、その道理として通っている、時。そこにはお金が「発生し続けている」事には成る、その領域は経済的問題が少なく成る、筈ではあり。

感覚が違う。

以前の金本位制では、「お金持ちとは、我々労働者からお金をかき集めた奴の事だ」そのお金は元々は我々のモノだ、返せ!が言えた。しかし”雅”市場、「お金とは、価値を創って”神”に換金して貰う事で”発生する”ものだ」その時、上の理屈は言えない。単に適切な「価値」を生成してないだけの話ではある。

という時に、つまり前者の感覚での騒乱?要求、それは意味がない、事にはなる。

経済学が必死にか「という訳でリストラしましょう!」に成るのは、前者の理解で考えているから、ではある、金本位制、ドル経済ではあり、しかし色々な意味で、”それ”が思ったようにいかなくなってきた、のが特に平成からの近代ではあって。

「どっちが良いですか?」と、神には問い続けているつもり、ではあるのだが。

それでも「自分はこれで良いと思う!」が通らない、時。神と言うのは倒すべき敵になるモノ、か。

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