理想と現実の狭間、ではある。
休日の筈だが、状況的にはむしろ、だろうか。
6500番台の出張動画版のOPでも描く事だが、繁栄が有れば衰退があり、凱旋が有れば滅亡も有る訳で。それら踏まえての「理想」それは、結論ではどんぐりの背比べ、だ。規定される「適当」に全てが抑え込まれ、人々は”その場に有る物”しか使えない、”その中で”自立を目指せ、そんな環境。
「ストリードの連携」それは、”そういう環境”を目指す、訳だが。
矛盾はある、”それ”に同意する人々には成功が、栄光が与えられ、反する人々には衰退が、敗北が与えられるのだ。そこに、明確でさえ有る線引きは有って、それは、その理想に対して、何かの疑問?を投げては来る。その、古き悪癖でさえ有る「栄光」にはもちろん、人々の望郷でさえある期待、それはそこにまだ、有る。
その向こうで、それが理由で小学生が自殺していても、だ。
面倒なのは、この話をする先に、シニア世代否定、”氷河期世代の親の世代”否定、そう言うのがある、事だ。”それ”は、良くも悪くも年金に依存している層、そこを物理的に直撃さえ、する。今の農家の収益率は、悪い。それでも続く?のは、シニア世代が年金を貰ってるから、だ。”そこ”に依存し、それは続くしかし。状況が改善しないのにシニア世代が居なくなった時、その経営は成り立つのか?ではある。
「どっちを切る?」しかし、どっちにしろ破綻する、そんな悪夢も結局はある。シニア世代を守っても、彼らの”それ”は利益を産まないのだ。しかし彼らを切るなら?明日からの生活費は、貯蓄も無いのに突然途絶えたり、する。彼らは良くも悪くも頑迷で、骨が折れるまではその道を進もうとし、折れた時点で、諦めるならまだしも、その後はもう動けなくなる。「戦争」と言うリアルがあった世代の正義は今、暴走列車の危機感その物でさえあって。
そして、シニア世代の常識として、「売春は至極当然に有る」訳だ、それが有る事を前提にした、それは彼らの成功ではあって。テレビは、そんな、或いは志村けん、その成功に対して、評価し、称賛し、或いは推奨さえ、して来た。
氷河期世代、その抵抗?は、果たして意味を持つのか否か。「利益に成らない事はしなくて良い」時、就職先は無いまま、それは或いは”親の代わりに”お荷物で有り続ける訳だ。「ユダヤ教の王」それは或いは、その果てに犠牲を出し続け、結果で狂って行った?そんな何かではありそれは、或いは今も、「原爆」その選択と共に、重い悪夢の壁として有り続けては居る。
働かずにお金は使えて、親が”それ”に対して文句を言えない。
”それ”を最善と言って良いのか。
或いは、シュレーディンガーの猫、その心境、だろうか。
毒の瓶は、何時壊れるのか。
その前に、蓋は開くのか?