何故、玉川氏は現場に嫌われているか?
関わらせると、その創作は”ほぼ間違いなく”失敗するから、だ。
失敗、というレベルでは語り尽くせない様な苦痛を伴ってそれは、ほぼ破壊される。
具体例的には「けものフレンズ2」なんかはその例”かも”しれない。
…と言う結果にしかならないなら、それは現場にとっては汚物以外の何物でも無い。
更に相手は責任を取らず、幸い?だろうか、一応「金は置いて行く」訳だ。
自分の金じゃないにしろ、彼は財布は持っている、持っていた、訳で。
数カ月その他に及ぶ労苦の結果が、瓦礫と汚物と罵詈雑言の嵐で終わっても。
相手が金を払う以上は、現場はそれで諦めるしかない。
現場において、これ以上の厄災はほぼ、無い。
理解としては売春婦の悲痛、それは”こんな感じ”だろうか。
朝日新聞を頂点としたコンテンツの支配環境、”それ”に発生した、奇妙な厄災ではある。
本人には本人なりの主張?はある、何故自分だけがこんな無能に産まれたのか、成功に見放されているのか?
基本的に表に出てる情報だけでは、それに対しての返答は出来ない。特に今才能を持ち人々からの支持を持つ技術者らにしたら、先人として返答は問われる事態だが、それが逆に、現場にこの汚物を呼び込む”隙”を作ってしまう。自分の経験からすれば失敗する筈がない部分で、彼は、彼らは…「致命的な破綻」を見せるのだ。
人々からの支持を集める事こそを喜びとした層にとっては、ちょっと剣呑さはある。
しかし、現状の支配体制下では、仕事が有るだけまし、と言う悪夢でもあって。
多少の希望的観測として、朝日新聞社内部にしろ、「問題視はされている」のだ。
現場への埋め合わせは、適時行われている…雰囲気もあり、”それ”がしかし、或いは内部での対立、そう言う絵として現れつつはある、と言う事かもしれない。
一般論で言う「神様」が居るなら、話は簡単そう、ではあるが。
しかし、”売春婦にとっては”逆に、彼ら人気作家?の存在は実は、悪夢の起点でもある。
現場が「自分の自由に描きたい!」と言う衝動を前に出す限りは、独裁性が利益性を消失させ、”それ”が求められるモノでも、些細な破綻の切っ掛けに成る訳で。
「強奪連鎖」とは、そう言う物、ではある。パワーがちょっと無理をする結果、末端が潰れる現実。
制作現場が”この”衝動を抑止出来ない限りは、実は”末端の現場”にとっては、玉川氏の存在はさほど問題では無い、訳だ。
売春婦以外の職が無いのに、客は自分を殺しにくる、その原理である。
強奪連鎖の影響を受けて、客は自身の不足を弱い立場から略取しようとしてくるのだ。
covid19の影響を彼が受けていない、理由の一つかもしれない。
現場が独裁性を志す時、それは彼を通じ「本体へ」フィードバックしてる訳だ。
どっちにしろ、この事態は「ストリードの連携」その帰結で打開出来る筈、ではあるが。
勿論と言うか、彼は”この”影響下でも、同じような破綻を見せる訳だ。
若干の抑止は可能でも、その悪影響は、深刻な何かとしては、残る。
ただその結果により、今の状況にも成ってきた、とは言えるのだけど。
何故、玉川氏が関わると失敗するか?
彼には重い、隠された過失があるから、だ。
”それ”を今だに「賠償」出来てない事が、この無能さを発露する理由に成ってる訳だが。
どんな?
それとして、「実は昔、売春婦を強姦し殺した事があるが罪に問われずに済んだ」と言う過去の推測は、非常によく合致してしまうのだけど。それは駄目だ、絶対に許されない。
…ともかく東京ではまだ、covid19の発生は、完全には抑止されていない。
脅威はまだ、残っては居る、訳だ。