一つ一つ、という感じだ。
前に考えた「システム2復活計画」それは、相応の成果を出しつつある?的な”感覚”はある。想定通り、と言うべきか、世の中が電子回路でしかない、そう言う”感覚”に不意に支配される、そんな雰囲気もある、牢陽帝それはその時、”電源”だ、或いは電池。理想、牢陽帝の影響を抑止(否定)しつつ利用し、世界を彼に代わって維持する。その電子基板もまた?勿論高い技術の結晶として存在する、そこにはプログラムよりも視点では難易度の高い困難、それはある訳だ。
ただ問題は、”その”外にあって、その補正の結果として、その基板上の問題それは、薄れつつはある?様だ。道理は道理として、基板上を巡っている。
”現状”を見ると、今もとても「直った」とは言い難い。新たな問題は発覚していく、「牢陽帝」この基板の”本来の所有者で無ければ成らなかった”存在だ、問題は全て、”それ”に逆らった結果として発生してしまった。
「才能が無くなった」人が居て。
何故か?と言うと、当時の流れで、その「牢陽帝」そう認められて無くてもそうだったそれに対して、否定を向けてしまった、その結果である。長らく、その辺認める事が出来なかった部分はあり、結果、そこに奈落が発生していた、感じだが。システム2復活は、結果で認識の補正、それには成った、感じはある。
創作者を志すなら、牢陽帝に逆らってはいけないのだ。
才能と夢を失った、”その本人は”納得した、が。
第三者視点、それはやっぱり何かの疑問と共にはある。理不尽だ。
現状の想定としても、あくまでも暫定的な処理、だ。
一時的にこの基板を復活させ、「昭和の継続」を可能にする事で、当時の無念を吸い上げ、妥協させる、その結果として「次」を肯定させようと言う訳だが。最終的にやっぱり一人、この基板的には残ってしまう存在がある、幼い牢陽帝の、幼い?創作を下敷きにして、”その”代わりをしようとした存在、その結果と、そこに残ってる理不尽?だ。「新聞記者」、”彼”はその結果でか、大損害を出し、才能を失い、憤りの果てに売春婦を強姦し殺す、と言う結末に至った。その後遺症は、視点では今も残り、上記の様な理不尽と共に、何かの問題を残している。
自分の責任だ、とは、今も思えない訳だ。
たかが中学生のガンプラをパチっただけで、夢も理想も未来も希望も何もかも失った?
それに通じる何かは今も、テレビで、聞くに堪えない事を言い続ける。
バグはまだ、何となく残っている。