あげちうのブロマガ

侵略者の正義は抵抗の旗印に

当然だが、「トールドア―マートランディ」それは、自分の書いたロボットモノ小説、ではある。

で、”それ”を足場に書かれた作品、それは、誰が作者なのか?ではある。

 

個人的に「機動戦士ガンダムSEED」それは、自分の「トランディ」それを足場に描かれたガンダムだった、というのが今の理解だ。ただ言うと「被せ」と言う方法論、「このビックサイトみたいな施設のイメージは、姫路城です」と言うのを公表しない、そういうやり方での”それ”であり、流石に東京ビックサイトを「姫路城のパクリ」と言う奴は居ないだろう、解っているのは作者だけだ、という「オリジナル」の主張があって。姫路城の作者が居たら、その時どう思うか?そしてそれはオリジナルと言えるのか?そこにはちょっと積年の疑問と混沌と、或いは憤慨、そう言うのがある。

「下敷き」にされた側は、表側の作品へのストレスを何故か自分が受ける事になる、のだ。相手はその辺を自分では受け止めず、スルーしてくる。

解りやすいかの例では、「グレートマジンガー」への批判は、「マジンガーZ」へ向く、そう言う感じ。それでいて、グレートマジンガーは「私の方が強い!」上位!を主張する、という憤慨が残る訳で。「人気」利益、そう言う観点では、当然かあまり、芳しくない。しかし反論が非常に抽象的に成りやすいというか、平行線と言うか。結果、今もって、相手に「駄目だ」とは明言し難い現状はある。

だから、か。この辺、「ガンダムSEED」にはちょっと残った問題みたいなのはある、というのが現実ではあり。

 ぶっちゃけ、今の「ガンダムSEED」には疑問点が山積みと言うか、ではある。コーディネーターとナチュラルの違いは?も、明確にされた事は実は無い。まったく「マジンガーZ」と「グレートマジンガー」その対立、みたいな、「どっちがマジンガーZか?」イミフだがそう言う話で戦争しちゃってる、光景でさえある。優れている、と言っても「スーパー超合金Z」以上の改良点は明言されず、後半かでは”それ”に換装されたマジンガーZも参戦する有様、表現は微妙だが、「それまでは要潤氏が主役だったが、今作では木村拓哉氏です!」以上の差がない仮面ライダーG3の続編みたいな、「グレートマジンガー」は果たして?そんな疑問がメタい領域では今も残ってる訳だが。

つまりこの「被せ」と言うパクリ技は良くない、それは結論とは言えるのだけど。それはそれで、創ってしまった「グレートマジンガー」それは?ではある。デザインの世界では「当たり前」のそれかもしれず、最終的には趣味の問題でしかない、マジンガーZの造形が嫌い、というそれもある種のリアリティではあって。根本的な問題は何処に有ったのか?それは今も、ちょっと混沌の中だ。

そう言う意味で、「設定を見直してみる」と言うアプローチでの棲み分け?みたいな事を意識的には検討する事になる。「マジンガーZ2」と言う個人的ネタは、その後のアプローチとして相応の説明は出来るのだが。だからこれが正解、か?という…問題はそこには至るのだった?マジンガーZの世界観全体にメスを入れてしまうそう言うのは、果たして許されるのか或いは。

存在は許容しても、その場を「創った」人々にとっては、何かの重いしこりは残ってしまう…そんな気もする。それに費やした時代、コスト、或いは犠牲。「本編映像の設定、ほぼ意味ないから」それで、グレートマジンガーに関わった人々は剣呑を残さないか?それは謎ではある。

帰結として「ガンダムSEED」は、「グレートマジンガー」アニメの”それ”を目指すしかない、のかもしれないが。その後に「やっぱり微妙だったよね」それはなら、同じくセットの評価、にはなるのかも。

「終わらせる」と言う、その意味。

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