要するに昔から、「蛇足」それは良くない事だ、とはされているのだが。
ガンプラに独自の改造を施し「どう?」と聞く、その衝動はどうしても、何故かそこにある。
ともかくこの「蛇足」の話は、「要求された事以上はしない方が良い」と言う事ではある、訳で。”仕事”に対する意識、それへの指針ではある訳だが。自分もこのブログにしろ、最初の頃はかなり装飾過多?な部分はあって、その是非は現状色々と、考えたりはする。
結局?「利益」が無いなら、それ以外の所に求める事には成る、という事か。お金を手にして何が欲しいか?というと多くは「自由」意識的な?そう言うのではあり。それをその場に求める時、蛇に足が生えるのかも知れない。
「ゼビウス」の頃にしろ、オーダー通りに作る、と言うのに対しての対価が適当じゃなかった、というのは有るのだろうか。自尊心、それへの対価を求めた時、ただ「仕事をする」だけでは”それ”は得られない訳で。「よりユーザーに配慮した!」デザインを持ち込む時、足が生えた蛇は和尚から追い払われる事には。
ゼビウスの後、「スカイキッド」と言うゲームもあって。この辺の流れにその混沌がちょっと見えたりはする。ただ複葉機に成ってる時点で、なんとなく「違う」と言うそれは避けられないから、これもちょっとマニアック、そんな評価、だろうか。あれを潜水艦から発進するゼロ戦でやったら、果たして評価は?ではある。
しかし何時まで考えても、この辺に答えというか、納得と言うか?そう言うのが見えないというのは…ちょっと想像できない意識の溝、ではあり。「何が悪かったのか?」3機設定、それがオーダーに対して蛇足だった。ただもちろん、民主主義的に言って当時、「残機無し」を選択できなかっただろうそれは想像できる。オーダー元を語れなければ、例え昭和天皇の命だとしても「無理」それは、そこに有ったとは言えるが。
民主主義を護るべきか、それとも「利益」それを重視すべきか。
顛末的には更に、民主主義を選択して、そして利益にも見放され、結局は民主主義にも否定される事には成る訳だが。
縦スクロールSTGの領域には今も、そんな「脅威」混沌、汚泥の呟き、それは残って居るのかもしれない。
従来の方法論では、オーダーが「不完全」でも解らない。そこを現場が補わねば成らない?というのもあって。一応今「ストリード」と言う物がオーダー元に出ていれば、後は現場の責任、そう言いきる所には居るのだが。結果かともかく今、「自分は王の権威だ」と、明言し得ない感覚はあって…前に言っていた「キングスブランド」その”足場”として或いは不完全が有るかも、というのは、まあちょっと思う。
残り続ける何か、ではある。
”失敗”は自覚しつつも、自分の過失に出来ない。