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あげちうのブロマガ

老舗が残り気鋭が消えていく街

「独裁創作が売れない」利益に成らない、が今も、最も深刻な何か、ではある訳だが。

一応それは物理的な?成熟の過程にある変化の一つでしかない、にしろ。あの時の方が、はまあ、深刻。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

AI絵には不足はあるが、変な固執が無いだけ「使える」のも現実…

 

要するに「それはもうある」の返答が領域を支配してしまった、という状況ではある訳で。

誰かが自身の視野範囲で気づいた。Windowsにはゼビウスが足りない!→あります。

じゃあファミコン!→あるっつーの。

だったらスマホ!→もうええっつーのに。

「ネタが出尽くした」というシンプルな事態に対して、人間の視野範囲が狭すぎる、そう言うのはある。カウンターの様にか、銀行のATMでゲームの「DOOM」を創って動かしました!とか、それはその変な妄執に対して返答には成る訳だが。結果と反応を見るまでもなく、それは無意味を遊んでいるのだけど。

「新しいモノ」と言う要求は、次第に薄れていくのが現実ではある、持っているPCはまだ十分使える、同じ事しかしないなら無駄だし、愛着もあるし。しかし、それである限りは新製品!への魅力は減退してしまう、のも現実ではある。そんな?今の一般論…の認識は上のアプローチの結果か、奇妙な剣呑さを内包してしまって、古さを極端に否定する、というのもまあ、ある。認識へのカウンター的なアプローチ?実はその萌えキャラ、随分前に亡くなった瀬戸内寂聴氏がモデルですよーとかそう言う?しかし逆に”それ”が忌避感を加速させる、という事態も多分、深刻だ。「騙す」と言うのが定例化してしまった時、市場全体が羊飼いと狼に成ってしまっている、のかも。

市場は、既に彼らの言う事を信用しなくなっている、そう言う面もある。

そして新たな人々が自身の居場所を模索する時、そこには既に存在せず。「先人を追い出す」という安直な選択に陥っていく、それはしかし、政府にしろ自由市場にしろ、当然かの帰結ではある訳だが。

似たような説明は常にある。「既に成熟期だ、需要はメンテナンスの方にこそある」ただその時は”相手”の要求に対して応じられねば成らない!という、それは正論扱いに成らない。最初の先人らは視野範囲の情報では「そう言う事はしてない」のだ、単に自身の好きを突き詰めただけに過ぎない。様にしか見えない時、「当時だってプロデューサーは居た」とか「99%は失敗してるんだけど」とか、平等への強い要求、だろうかそれとも博打への期待感、だろうか。それらの情報は存在しない物になって、単に下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、だけが残った、そう言う感じはある。

先人だって、最初は「上の人」の言うとおりにしかしてない、のだ。結果で成功し、担当編集者が揉み手をしてくる様になって少し言動が横暴に成って、そして墜落していく、その「横暴な頃」の話だけが残る、そう言う感じはでも、先人にしろ過去の黒歴史として、あんまり語られない訳だが。

語る必要が無い位に、そこにある絵は「当たり前」でしかないというのは、不意に深刻ではある。

気づいた時には「仕事」が出来る状態じゃなくなっている、それは深刻な病理ではある訳だが、それは何処まで広がっている話か。先人を追い出す筈が、逆に自分が”処理”されていく結果もある。「正義は勝つ」時、実績も要求もある先人への否定は、自身を単純に悪にしてしまう。多くの新人は多分、”その結果で”墜落していくのだ。今までX社のフューチャーフォンでゼビウスを動かした奴は居なかった筈だ!「新しい」は、意外と若い視点では見えない。

生き残っている先人はただ、”上”の要求に応じられる体勢を創っただけ、ではある。”彼ら”は「仕事」に対して抵抗が無い、他は微妙だ。その時、仕事は彼らにしか発生しない。

そこに有るのは当たり前でしかないが、当たり前の様に、それはそこに無い。

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