凄いタイトなネタを考えた事は、ある。
とは言え、主観的なその「限界の先」は、それで納得には成る。
―奇病が蔓延し、人類の男性は総じてゾンビ?と化した世界。しかし、人類を存続させる為には”その”ゾンビから精を得ねばならない、という歪んだ現実があり、それを抑止しつつ精を採取する女性らが必要とされた―
という世界観での、シチュエーションではある。
ゾンビに対して、遠距離とかから投薬され、”それ”は何かの無気力化の状態に陥る。その前に半裸かの女性が現れ、そのゾンビを誘惑?するなりして誘導。後は物陰で、「そのゾンビが精を出し切って死ぬまで」し続ける、という感じの、展開。
この結果、展開的には、女子高生的な少女がかなりハードにレイプされていても、最後にその脅威は単純に死んで消えるので、衝動の昇華をしつつ「良い介入」と言う事に成るので、倫理上の問題はない。
そう?
もっともこのネタ、「もし産まれた子供が男の子ならどうするの?」とか、かなりえぐいネタも入ってくる為、深夜枠的な話でしかない訳だが。それでも、世界の救済を志向しつつエロとホラーとバイオレンス、スプラッター、「嫌な顔してパンツを見せて貰いたい」等々をかなり過激に盛り込める、それでいて登場人物の”全て”が女性で良いと言う、実写化を考えても、かなり都合のいいネタだとは思っている、が。
一応、自分の主観的には”これ”で、昨日の衝動?それは中和できる感じはする。単に「観たいだけ」的なネタである、正に、視聴者?の投影はその「ゾンビ側」にある、その世界のゾンビに成れば?命を対価にはするが、その衝動のほぼ全ては具現化するのだ。感覚では、割とスッキリするのだけど。
一般論だろうか。
”そこ”は、ちょっと疑問だ。
ともかく、「売春」その否定は大事な話には成る。テレビが、一般の認識に強い影響を与える、としたら。”それ”が最終的に今のアダルトビデオ、”それ”を否定してない、という事は?世間もそれを許容してる、という事には成る。「切り捨て」を肯定する世界に発展は無い、ので。この後を考えた時、自分は、テレビは「男性と女性がその性行為を晒す」と言う方向でのアダルトビデオ、それは否定した方が良い、とは思っているが。
ただ、「女性が裸体を晒してお金を貰う」その行為まで否定すると、それはそれでストレスの元、でもあると言う矛盾と言うか、理不尽と言うか、それはあって。そこは超えねば成らない…だから。
「アダルトビデオは女性のみで撮影するべき」それを肯定するべき、という主張はある。
そして、それに伴う失望、それに対しても、何とか対応していかねばならないのだが。
今まで、風俗で女性らと遊んでいた人々は、ネットのチャット利用で”それ”を代替とする、事は出来るのか否か。自分にとっては必要性が低く、また、一般的な需要も「不足を補う為に他者から採る」と言うニュアンスであり、なら、”それ”を補ってやれば需要その物は消える、という事なら。知恵を駆使する事で対処可能では、それは思うのだけど。
固執するのは、単なる作家特有かの暴君だろうか。
それとも、何かのリカバリー出来ない過失の行方、だろうか。
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