PS5の実機が公開された。
へたくそ。
デザインへの評は、それで終了してしまう感じはある。
…ただ、感情論のそれは、「反逆者」その定例ではある、それは求められる結果を出せないのだ。理解し習得すればどうにかなる、話じゃない、現状は「お前は要らない」そのフラグが付いてる限り、それは必ず失敗する。
予定調和だ。
そして、”それ”を何とかしようとする事が、実は徒労だっただけだ。
彼らは罪人である、”それ”が罪を問われているに過ぎない。
何をしたか?と言えば、最終的には「王の権威」その決定に逆らったのだ。現状で言えば「大賀さん」での敗北を認めなかった。そこに成功は無い、それがこの絵であり、それである限り、それは妥当な結末ではある。現行のコンシューマ機は、何かの終端に至った、これ以上の要求は満たせない。後は正直、「HTML5プレイヤーとしての使いやすさ」を追及する、位が、今のゲーム機そのスタンスではあろうか。
そしてそれだってもう、行き詰まってるかもしれないのだ、「王の権威の意向では無い」から。
”ここ”の意向は既に、10年以上は前に示されてはいる。世界はそれに対して、些細な過失と共に逆走したのだが、結果の一つとしてPS5、この失望感はある。この先は無い、不意に理解する造形と、そのゲーム機としては有り得ない大きさ。我が人生に一片の悔いなし、とか言いつつ死んでいったラオウの様な、そんな様だと思えば、一つの絵ではある訳で。
主観ではある。
ただもちろん、行き場のない失望は重い。
一つの戦いの終わりと言う、そこに希望は有るだろうか?