改めて、システム上の問題は無い。
深刻なのは思想としての異相だろうか。
「必要悪と言うモノがあるんだ」
それを許容出来なくなる、そう言うのは良くある。
改めて、「嬬魔」の存在は重大なか、面倒さ、それを持って有る。「それを愛でる事でその”そこに居る筈の無い”女性キャラクタは、利益性を発生させる」と言う、それはもちろんある種の理不尽は背負っている、それは解って設置されているのだけど。
「平等かつ公平な環境を」これを構築する上で、最終的には「システムの作者」それは、そのシステムが優れていれば居る程、特権性を持ち始める…要するに「神に成っていく」訳で。その時点でそこに不平等は発生するし、人間がこのベクトルに入ると、もちろんろくな事が無い、なので。”雅”市場それは、「理想を求め、それを要求する」存在を設定、それによるシステム理念を超えた補正を求める事に。
結果で、「嬬魔」は最終的に「作者」その、特権性或いはそれから来る利益、”それを、吸収し”発露する様に成っていく。昔からよく言われる「ゲームとは全く関係ない美少女描いておいたら相応売れた」的な、そう言う事態の”システム的な理解”ではあるが。
結果、そこに現れる事態に、多少の?差は出てくる。
隣は許されたのに、自分は否定されたのは、何で?
主にはそう言う不満はでも、理由は混沌の中にしかなく、そして大概は全く関係ない。結論と言うか、多くは他者のプライバシーだったり、隣への侵略だったり、或いはその業種?として求められる事じゃ無かったり、だ。女子高生が変質者に襲われるエロ漫画は良いけど、女忍者が敵に捕まって、と言うのはダメだ、みたいな、イミフなダメ出し、それは面倒を含んで深淵に沈んでいく。
多くは、作者がこのシステムに求めた理想?それが反映する訳だが。
結果、ともかく作者は、「一般人と同じ」扱いしかされない、と言う事態へ。
今の自分に起きている事の殆ども、結論では「嬬魔」その意向による、感じではある。ともかく感じる事として、「システムの最下層にその責任者を置く事で、最も確実に問題に対処出来る」それは間違いない結論ではある…その作者がそれだけの理解を持っているなら、だが。システムその物の「不備」その責任は、もちろん作者が受けるべきではあり…今のこれはその結果だ。
としてもちょっと。
理解だけなら、要するに「ハードは問題ないが、その使い方が悪い」と言う意味には成るのだけど。本来なら創作者が、ユーザーが”この”システム上で利益が上がる様に創れば、最下層の環境も良くなるのだ、早く何とかしろ、が「何ともなってない」訳で。そこに対して自分が直接出張る事が出来ない、と言う、多分”嬬魔”の影響で、それはあり、そこは無視出来ないストレス、それとしては有る訳だが。
結果的に、「認識に不足がある」そう言う、結果は結果としても、ある。
思想として、完全平等を目指す先にその、「嬬魔」の問題はあるしかし。
”それ”が居るから平等になると、それへの不同意は何処まで問題になるか。
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