常識、というか。
あの飯塚幸三氏がしてしまった事、それはでも、テレビ業界等にとっては「当り前の帰結」でしか、ない。
単に、それが何らかの理由で「実際の加害として」加害者の前に発生した、だけだ。
自身の行為が利益を発生させる時?誰かは潰れ、そして生贄として死んでいくのだ。
だから今も、何かは彼に対して、”何か”を依存し続けている。
これで良い、問題ない。
…否定は、出来ない。
彼が罰せられる時?それは岡村氏の様な非難、”それ”を業界全体が受ける事に成るから、だ。結論で「サンデー・ジャポン」の田中氏も、岡村氏を擁護すると言うか…「同じ程度の笑いを狙う」事をして、その場は苦笑で流したが。業界にとっては「当り前の話」だ。また、一人辞めれば一人上がる、それもまた現実、テレビ業界と言うのは…そう言う世界ではあり。
ただ、その結果としてか、志村けん氏が新型コロナウイルスで死んだと言うのは、やっぱり無視出来ない結果ではあるのだが。
”そう言う感覚”に対して、新型コロナウイルスは反応し重症化、最終的には死に至らせる。
マクロで見れば、「ダメな物はダメです」そう言う、神様の抑止ではあるのだが。
その番組内の空気それは、何かの対立の構図そう言うのは、ある。今後、どうすべきか?”それ”に対して、業界が二分した対立をしていて、”ここ”はその時、「魔王だ」と言うなら中立にある、訳だ、口は挟めない。”それ”が結果としての「大賀さん」紛争解決機構、その決断と言う選択に成るのか否か。とは言え、面倒な決断ではある。
経済活動の再開は許容しつつ、監視する所は監視を続ける、と言う感じにオチに成るらしい。
博打、ではある。