言葉にしちゃうと、陳腐ではある。
「敵も同じ人間なんだよ」
戦争と言うのは、”それ”に対して銃を向けて、撃つ行為である。
最終的にはそう言う”感覚”が、「電影旅団オーガ」そのゲームデザインには出ている、のかもしれない。ともかくそう言う言い訳?は、出来る。抽象的表現では、スーパーストリートファイター2の対戦と同じだ。使えるキャラは両者とも同じ。あくまでも”それ”は物量と運用の問題でしかない。最終的には本当に、対戦格闘ゲームでも十分要を成しただろう、しかし。SF2を創った会社としては…”これ”に、そこまでの責任?を持たせるそれはナンセンスだった”だけ”だ。
そもそも「正義は勝つ」のなら、確かにガンダムで十分なのだ。”それ”は正義か否か?を論じれば良いのだから。単に、結果を見せる事が出来ない或いは困難だっただけで。その「見せる事が出来ない」部分に混沌が巣食っていた、要するにそう言う状況ではあって。「電影旅団オーガ」はあくまでも、”それ”を、結果を見せる事だけがほぼ、目的ではある。
問題は、そう言う問題では無い。”相手”は「完璧を求めている」のだ。その時、「紛争解決機構に逆らったら死ぬ」それが具現化しない事が問題だ、そう訴えているだけだ。現状、利益性を奪う、事には成功している、しかし。人力発電機等々、命を繋ぐ機構それは結構、残っている。紛争解決機構では、敗者が不同意でも”それ”を殺す事は出来ないのだ、実戦だったら殺されているのに、だ。全然リアルじゃない、それは評として残る。
…だから、「それ」を埋めようとするなら。「不同意な敗者は死ななければならない」のだが。そこは神のみぞ知る、だ。今の法律上、軽犯罪如きでは、死刑に出来ない。人力発電機を動かしてさえ居れば、「自分に何が足りなかったか?」は自ずと理解出来る、そう言う状況でさえある、普通の人間なら、だ。もっとも、普通の人間ならここまでの狂気を纏いはしないのだ。一線を超えた時、確かに常人には抗い難い支配力を得る事は出来るが。同時に利益性も消えてしまう、奪う事しか出来なくなる。
…人々は良くも悪くも、”それ”を何とか人間に戻そうと、その術を探し続けただけだ。
原因が何処にあるのか?は、今もって見えない。出来る事はやった気はする、ただ、「気が狂ってしまった」それを”治す”為にしている事は、結局は犬にお手を教えようとする行為でしかない訳だ、この場合。根幹的なズレがあって、それを打開出来ない。相手は既に人間じゃない、表現的には、そう言うしかない訳だが。
…愚かと言えばそうだ、”それ”でも、何かの希望を探そうとしているのだ。気が狂った領域があって、欠損があって、それに対して「人間は神に成れない」それは、手を出せない状況があって。
「大賀さん」神様、”大衆”それは、何とかしてくれるのだろうか(-_-;)。