あげちうのブロマガ

目には目を主観には主観を

流石に無意味な数値を「神の御神託です」とか言われても混沌でしかないので。

迂闊に低い数値でパニクってもアレだし、その辺は今後もスルーには成る訳だが。

ともかく「認められる」必要がある時、”何処”にどんな基準で査定を受ければ通るのか?は、ちょっと明確化はしたい部分は有って。現状、薄ら生活基盤の不安も感じる部分、自力で何とか出来ないと言うのは、倫理上にも問題はある。

この辺、状況が想定通りか?は、かなり混沌には成る訳だが。

ともかく日本での「サブカルチャー」その認証、という点で、どうも「朝日新聞社」その影響がなんかちょっと、大きい。昭和の頃から続くこの会社とその立ち位置は、良くも悪くも「昭和天皇の暴走を防ぐ」的なニュアンスを持ち?何かの正論性で、「マスコミ」この業界に対して重い影響を持つに至った、訳だ。”ここ”が認めないと、その作品は店頭に並べる事が出来ない、創るにも抵抗が重い。その時。

想定では”ここ”が、何かの独裁性、独善?そう言うのを残してる。

その結果、内部に「邪」を抱える感じに成って、現在の「微妙に上手く行かない」そんな状態が続いている。

問題になるのはその主観、「”それ”は問題だ」が、個人的なそれでしかない事で。打開としてはそこに、明確な法、客観的に妥当な正論、それに寄る査定、”それ”を設ければ少しは緩和する、かとは思う訳だが。

色々あって、一番近い?のが「ストリードの連携に対応して下さい」それを使ってないなら、認証するまで時間が掛かります、ではある。今の所、「シン・ウルトラマン」は認証が通った先にはある。ただ、「ゾフィを悪役にする必要は有ったか?」そこは、重い懸念は残っていて、不意に議論が始まったりして…面倒さは、なんかある。

その意味で、果たして”ここ”が「独善」主観での話しかしてない?訳では無い、という事を…先日の「今日の数値は」以下の話で帰結に成った、事には成るのだろうか?”ここ”もやはり、「大賀さん」紛争解決機構の統制下にはある、という事が、朝日新聞社的にも「理解」されたら許可、みたいな感じは有り得るか、否か、それは不意に、大事な話なのかもしれない。

”ここ”が、「王の権威」が、何かの重い独裁性、それを残しているのなら?朝日新聞社も”それ”で対抗し得る権利は出てしまう…訳だ、”その”暴走を防ぐのが役目である、故に。
しかし違うのなら、朝日新聞社も、”それ”は対抗手段に成らない訳で、内部的にも否定出来る、訳だ。


「成った」とすると?例の「コアグランの悪夢」あれが認められない、と言うのは、おかしい。「大賀さん」その前では”全て”が平等である、王の権威であろうと条件は一緒だ?それは理想として有る、なら、自身も後はスキルの問題でしかない、訳だが。

その時また、場合によっては切り捨てになる、”そこ”に寄生していた何かの少数?それは妥当な結末か否か、ではある。そして、その結果として発生する可能性がある剣呑?それは防げるか、或いは懸念でしかないか。

様々なモノが、余計な枷を背負っていた今まではある。

その辺は、果たして?

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