あだち充氏は、「ヒットラー型の作家」である。
恐らくは。
「売れた」と言うより、「供給されていた」と言うべきだろう。評価数値は出ていたが、別に「面白いから」と言う訳じゃ無かった。前任のユダヤ教の王には、”それ”を評価しなければ第二第三のヒットラーに成る、悪夢がそこに有ったから、”そこ”への供給が続いた”だけ”だが。ともかく或いは彼は、その境遇に甘んじた、ともかくお金は出たのだ…しかし。そこに集中する物は、その界隈に歪んだ認識を育てた。
独裁創作でも、売れる人は売れる。
自分のそれが売れないのは、おかしい。
そんなこんなで、”これ”を容認する時、「同じような創作」それもまた容認される、真似する奴が出てくる。それらが創る創作は多く、単なる暴君の暴言でしかないが、それに対してもお金は払われてしまった…「昭和天皇の枷はもう無い」ので。
それが界隈に齎したストレスは、ちょっと深刻な何かになり。そして或いは責任の様なモノも、実は彼に集中していた?それは幸運だったか、不幸だったか。
状況は今も、自分にとっては問題を残しては居る。
良くも悪くも、「ユダヤ教の王」それは、「お金を”持って”いた」のだ。
”自分”は気づかずに、飼われた檻の中のペットだった?と言う、そんな後の話だ。
自分が一文字十円を確約されていて、「キングスブランド」それが十分な利益性を持ち、その上で「アーティファクトゲート」それが問題なく運営し得ている、のなら。創作者の?不満に対しては「働きましょう」お金は出ます、それで済むのだけど。
自分はそれらを設置した功労?その他により、安定する収益は得ている。その上での生活内容その他に関しては、他者の関する所では無い。あなた方の生活に問題が出ている、或いは収益に懸念がある?それは単に、あなた方が必要な労苦をしてないだけだ、環境は十二分に整備されている、そこに不平等は無い。
想定する問題ない状態、には、今も微妙に成っていない。色々な不満、それは残る、世代の問題、歴史の問題、それらがごっちゃに成りつつ、個人的な話として。
それは切実な問いではある。
なんでそんな物(大賀さん)の決定に従わねばならないのか?
”その”世代、エヴァンゲリオン世代、ともかく現状”問題を感じる人々”、その中心にある返答、だ。その世代には、そう言う感覚が、無い。それが理屈として最善だ、としても、そう言う理解はその世代には、正論としては存在しない。
戦争はテレビゲームじゃねぇよ。
理屈の上では、ドローンを使用し始めた時点で、極論して戦争とテレビゲームの境目は基本的にもう、無い。そして戦争にも実はルールがある。条約で禁止兵器がある、様な話、それを侵害すれば「全て」から非難され苦境に陥る、そう言うのが存在するのが、実際には「戦争」である。何の為に戦争をするのか?だ。相手を殺す為では無い、勝者はどっちか?を明確にする為だ、が。
一般論として、「戦争はテレビゲームじゃねぇよ」それはまだ、重い。
そして、エヴァンゲリオン世代はもちろん、その一般論こそを、或いは足場にする。
「結果は出ない」のだ、失敗はしている。単に「それはおかしい」それに逆らえないと言うか、その疑問に返答を待たないと言うか。戦争はテレビゲームじゃない筈なのだ、なのに、そう言う結果しか、出ない。
”そこ”で決着に成った事に逆らう事は出来ない。
そこで「いらない」とされたら、それは要らないのだ。
それはおかしい。
世代か、特定の領域か、そう言う層にある、重いと言うか、歪み?相手にはこっちの理解の方が歪んでる、そう言う正論の問題ではある。
あだち充氏に、何か罪がある、訳では無い、気はする。単に「ユダヤ教の王」にとっては問題ない「ヒットラー型の作家」だっただけ、だ。お金を払えば静かにしてくれる、そう言う「好ましい作家」だ、推奨すべきは”こういう作家”であり、やたら正論を推してくる様な、そう言うのは要らない。どっちにしろアートの良し悪しなど、ユダヤ教の王にはどうでも良い話だ。黄金でも錬金してない限り、”それ”はあくまでも一枚十円程度の紙でしかない。ともかく彼を推奨する事で、その界隈は「そう言う傾向」を強める、金が欲しいだけなら、くれてやれば良い。
前任の王は多分、そう言う感覚だった。
一応、後任の?”ここ”は、それに対して一応の設定はしている。
”それ”がどう状況を変化させていくか、そこはまだ不明瞭だ。
昭和に残ったモノ、それが残す物は、まだ深刻に重い、気はする。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10757024
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10747203