同意の得られる感覚だろうか。
「117」は、どうすれば良かったのだろう?
それは、悪漢に扮したプレイヤーが、女性を襲って押し倒しレイプ、最後は結婚まで持ち込むゲーム、で有る。
ゲームに関しての評は思いの外高く、それだけに、何かが残ってしまったのかも。
そんな、奇妙な衝動?の様なモノとして、補正を試みるゲームのデザイン。
「ダークネス・ロウ」
要するに既に「事実上夫婦関係にある二人」の、女性の方がおかしくなった”それ”をエロい事して治す、的なスタンスではある。
”これ”が昭和天皇のオーダーだった可能性を考えると、当時は「物語」しか、評価基準に無かった。「と言う悪夢だったのさ」でオチになる、べきを、パソコンゲームは「今のプレイは現実です」にしてしまう為、そこに否定が発生してた、訳だが。オーダーからの帰結を当てていくと、この辺だろうか。様々なアプローチの中で、”ここ”に繋がっていくのは微妙に少ない?気はする。
…と言う感覚に成る時?ふと、エロいイメージの殆どが、実際には”そこ”に繋がっていた…様な感覚がある、気がする。
試作
ストリード
タイトル「奴隷姉妹」仮
プロデューサーシートに「エロックス」で。
概略 エロゲー?
ディレクターノート
美人姉妹二人が、悪漢らに浚われてしまい、凌辱の限りを受け、彼らの性奴隷に成ってしまう。
end
悪漢は”すべて”プレイヤー一人の分身であり、或いは襲う女性にしろ、妻か、その分身…ではある。単に、夫婦間の”それ”を創作して開示してるに過ぎないのだ、どれだけハードな描写で有ろうと、エロ作品とはそう言う物である、と言う理解は。
…この分野に、何かのブレイクスルーを産むのだろうか?
「魂斗羅」それは、この辺の混沌に対して、かなり上手く補正しえた作品、らしいが。
昭和天皇が亡くなった結果か、「理由」を失って、それは色あせた、そう言うのはある。
今は、どうなったか。