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あげちうのブロマガ

物語では綺麗な何か

真偽もハッキリしない事をつらつら語られるよりは、
ゲームの解説でもしてくれた方が、読みやすいそれは、事実かもしれない。


「物語を描く」と言うのは、自分にとっても「価値」を形成する上での必須ではある。理解では、好ましい”それ”は運命、或いは幸運を形成し、日々の生活を豊かにそして安定させてくれるのだ。”遊び”と言うニュアンスでしかないがそれでも、人々にとって「祭り」それは、大きくそして必需でさえ有る何かではある。もちろん、”それ”を失う意味に関して理解が及ぶ時には、既に祭りは終わってしまった後かもしれないが。

そんな事を繰り返しつつ、人間はここまで、世界を続けては来たのだけど。

「強奪連鎖は良くない」は、言うのは簡単だが不意に、その打開案が無い?感じに、少し考えたりはする。

”一番”強い力を持った存在が、”少し”無理するだけで、末端は直ぐに潰れるのだ。
その時、その世界は維持出来なくなる。なのに?一番強い存在に逆らえるのは、誰か。

「誰も居ない」のだ。

”それ”が自身を顧みられない時、何がそれを止めるのか。

これは、神学的な理解ではある、「つまり?維持出来なくなる訳だ」その、最強の存在の力を持ってしても。”それ”をそうしているのは何か?ではある、最強と言っても、世界の中の何かの枷の中での”それ”でしかない。その枷を構築している「何か」に逆らうと言う事は、自身さえ維持出来なくさせると言う事だ。そこにあるのは何か?ではある。

正直、「資本論」のカールマルクスにそんな説明をして、通るだろうか?は、若干の疑問と共にはある。彼を支え続けたエンゲルスにしろ、「何故?」は後年の研究かにしろ謎?らしい。単なる無能なら、彼を仕事相手にする必要はあったろうか、そこには多分、秘められた事情がある、彼は見えないパワーによって、世界から否定されていたのでは。

こういう例は、あのクトゥルフ神話の生みの親、「HP・ラブクラフト」にしろそうだ、それが認められる?のは、その物理的な影響が消えた…そんな後ではある。多くは死後だ、何かのパワー、ともかくお金?にまつわる環境は、何かの剣呑な枷が支配していた。

もちろんか、その枷の中に今もまだ、自分は居る訳だが。

その枷の中でどうやって自身を維持するか、それはともかく、先の無い感、それはまあ、重い。

この「枷」を維持してた側にしろ、決して何の問題も無かった、訳では無い。あの「ホロコースト」ナチスドイツによるユダヤ人虐殺、それは何故起きたか?ではある。ヒットラーがアーティストを志向していた?と言うのも因果的だ。ユダヤ教は、「換金」に関して、神にも等しい独善を実際は敷いていた…そしてそれは、ヒットラーの誕生と言う形で何かの破綻に至った訳だが。

そして平成の大不景気ではある、何が原因だったか?だ。ユダヤ教の王それは、理不尽な重い責務か憤怒と共に、しかしそれもまた、抗い難い壁の前で、何かの敗北に陥った、とは思う。「平等」と言うそれは、世界に不平等を強いつつも、今も何かの神として、そこには居る。

ユダヤ教は、最近だろうか?発言権?は弱まった感じはある、しかし。逆に今の問題に対して口も出せない、そんな状態でもあるのかもしれない。しかし過去の、「王の権威」その椅子、その台頭は、状況に混乱を招いているのもまた、現実だろうか。

真と、偽の、戦い。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im7726793
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