あげちうのブロマガ

「面白い」主観は殺し合いを始める

状況は、違うストレスの中に入りつつは、ある。

「カウンタ制御をしてる」と言う事が、想像以上の剣呑と面倒さに成りつつある、様な。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

単純に言えば、加害者にしたら殺すか殺されるか?へと膨らんでいく訳だ。シンプルに「貴方のyoutubeでの数値は低く制御されてます」は、その給与を不当に搾取、盗まれている、事には成る訳で。その利益の減少は、そのまま生活苦へと直結、或いは生活の破綻に通じる。”それ”が何の操作もされてないなら諦めるしかないが、プラス方向ならともかくマイナス方向はシステムによる「改竄」が可能で無ければ成らず。それはシステムに介入し得る”誰か”による加害が明確な訳だ。

現状の想定では、それの主犯が「広告代理店」で、その結果その後継者には「才能」利益になる、そういう物が発生しなくなっていて。”それ”を背にした歪んだ統制で平成は大分ダメージを受けている事にはなり。「ウケる奴はムカつく」なんで俺のは売れねーんだよ!?そのシンプルな否定によって発生した機会損失の大きさは、単純に金額だけのそれじゃない事を、最近やっぱり意識しつつはある。その時、十分な利益が有ったら諦めなくていい様々な「普通」の話は既に、過去への無理な望郷に過ぎなくなっている、のだ。

”それ”は、表面上は「問題にしない」事には成っていても。実際にはより深刻な対立か変化、それとして…始まっているのだろうか。

状況の想定で、公告代理店は「現状を維持する」為に内部的な変化を要求はされている。少なくとも「大衆は神である」その思想、その統制下に入らざるを得ない、じゃないと損失と剣呑は組織全体を破壊しかねない。が?すると倫理観は「カウンタ制御は良くない」になる訳だ、それを今まで続けていた人々は過失を問われる事には、成る。表面上は問題にしない、と言っても。或いは急に数値が変化したら、「やっぱり」から、剣呑は如何なる暴徒を産むか解らない、感じではあり。今はまだ、「権力」の様な物は状況を抑え込んではいる。しかし意識し始めると、機会損失の大きさは、単純な「殺意」そこへとすぐに膨らんでいく、様な。

・・・この時、権力側には一つの希望がある、「被害者が居なくなればいい」訳だ、自分を殺しに来る奴が居なくなれば。「こいつ、カウンタ10000もあるのかむかつくな、1000でいいだろ」そんな万引きより意識の軽い権力の過失は、相手を殺すか自分が殺されるか、そんな事態へ発展してしまった?感じには今、有る。

世界中で続く、何かの騒乱が或いは、こういうそれから始まっている・・・可能性もちょっとある訳で。

アメリカの大統領選でさえ、票の不正は公然の秘密みたいな雰囲気はあったのだ。数値の改竄は結末で殺人に匹敵する大罪だった、訳だが。今までそこまでの意識に成れなかったのは、被害者側の何かの失念か過失、だったろうか。

「過失を背にするとウケない」

実はそんなシンプルな原理の下で、昭和から殺し合いが続いていた訳だが。

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