見出し画像

あげちうのブロマガ

勉強しても売れない世界の中で

「正義」は麻薬のようなモノかもしれない、決断もするが、判断を鈍らせもする。

人は神に成れないという現実はしかし、現実の苦痛の前には、時々かすんでしまう話には。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「パッケージに騙されちゃうのよね」的な、何かの葛藤の現場

 

外を見れば雪景色、まだ冬だという実感は少し、気持ちを鎮めてはくれるのだが。

しかし後10日もすれば4月である。

まてや。

季節外れという事も無いのだろうが、それにしても今年は極端な話が続いている。おとといの暖かさの前にも雪は積もっているのだ、ただそれも一日持たずに消えたが。季節感よりも日付、数値その方を重視した方が良い感じには成っているが、流石に今の時代、数値は当てに成らない?

何処かに、固定された「現実」はある、とは思うのだが。

「状況から考えても、”紛争解決機構”それとしての始祖はあげちうの「大賀さん」と言うコンセプトである。ガンダムはその視点では次点だ」

   寿
 (0±0)
   大賀さん  )))  チョットトオリマスヨ

この時、例えガンダムと言えど、「判断」審判、それは”ここ”の理念に依存する事に成る、筈ではある。いやガンダムでもテレビ漫画だ、漫画なら手塚治虫氏が神だ、だから。何かの必死さを背にあるその主張はしかし、その「紛争解決機構としての」ガンダムに対して重い独善を、要求しかねない。昔「ゾイド/0」と言うアニメで、審判ロボットに善と悪が有ったが、”ああいう感じ”になってしまう。どっちが正しい?それは、やはり明確にしておくべき話なのだが。

紛争解決機構は、あげちうの創作でありオリジナルである。

「戦争はテレビゲームで代行しよう、仮想空間なら失うのはお金だけで済む」

一応、太平洋戦争まで含んでこの時、「正義は勝つ」それは、重い定理ではあって。ただ「つまり日本は原爆に負けたという事だ」と理解するか、「いや、その後の高度経済成長は、勝者に与えられた特権の様な物だった」と解釈するか?で境目はある。ともかく人類史上最大の「戦争」である。そこに至る迄には深刻なバランスはあった、50対50で始まった戦いは49対51で決着に成った。その時49側は、果たして負けを認めるか否かだ。結果を重視する時、日本は勝った、だから残って高度経済成長を果たした、それは説得力がある。

ともかく「出来ますか?」というと、今の状況でPS5でなくても何とかなる、時代ではある。グラフィック的に言えば既に「これは現場からの中継映像です」である程度騙せる状況でさえある。表現のリアリティは既に十分で、後は納得するか否か。”そこ”に表現された「戦場」での衝突は、現実のそれに等しい。なら?それでいい筈であって。今の様に本当に殺し合いをして取り返しのつかない損失をする必要は無い、筈ではある。

論戦としても、戦争は回避せねば成らない、に対して「独裁者に全て従おう」か、「紛争解決機構で決着にしよう」か、後者の方が正しい、筈ではあるのだけど。

ハマスとイスラエルは、今も戦闘を継続中である。ハマスは「停戦に応じても良い」と始めた側なのに言い出してはいるが。感情論と物理的苦境と人間の感じる理不尽を前に、「正義」それは何か。

問われる。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事