※扉絵は作者様から抗議ありまして、下げました。
「正義は勝つ」か?ではある。
或いは、報道それに対しても。
ウクライナ危機は、既に報道から一般人が状況を判断するのは無理が出始めては居る、「ロシアの非道!」的にネットで報じられた、その全ての映像がフェイクニュースだったと言う事だし、同じような写真をロイター通信まで使用していた、と言う話。キエフの生中継でも、防空警報が鳴り響いても何も起きなかった機影も見えなかった、現実もあって、「実は戦闘起こってないんじゃないか?」実際には、全部超国家的な茶番なんじゃないか?そんな気さえして来た。
この状況に関してはもう、決着が出るまでは無関心で良さそう。
それよりも、マクロな状況か問題は、何だか「報道vsロシア」そう言う様相になりつつある、事だ。メタ社がウクライナを支援していた、と言うならそれも道理?と言うか、可能性としては有り得る。そして、ぶっちゃけると「新型コロナウイルス」も、症状的には最初から現在に至るまで「これ、風邪では」危機はそれ以上に成らないまま、ここまで来ているのだ。それもまた、何かの違和感は常にあった。
実際の問題それは何だったか?ではある。
自身が設定した、自身が言うには「資本論」そのバグを補正と言うか、資本論その物を取り込み、その上に位置すると言う”雅”市場それは、もちろんか、マスコミに対しても要求はしている。「プライバシーに関しては、犯罪の告発で無い限りは、対象の調査も報道もしてはいけない」しかし、”これ”に真逆なイメージなのがぶっちゃけると「マスコミ」ではある、過去の逸話はそれこそ単なる不法侵入か犯罪でしかない話もかなりあって。「あさま山荘事件」でも、マスコミの取材が連合赤軍の優位を齎してしまった(テレビで警察の配備の状況が克明に報じられていたから)という話もある。問題視されつつも、マスコミは今のままで有り続けた。
この辺もまた、「王の権威」その存在故、かもしれないのだが。
ともかくマスコミは、基本的には「価値」を創れない業種、ではある。「嘘を報じてはいけない」からだ、そしてそれが事実である限り?報道内容に著作権を主張も出来ない。「客の知りたい情報を伝えた」と言う労苦に対してのみ、その対価は支払われる産業で…”そこ”に従事する限り、「創作」それは、単なるフェイクニュースである。故にか、軽んじられてきた経緯はある、その蓄積こそが、平成のその汚泥かもしれない。そこは改善するにしろ、ともかくそう言う物が、”雅”市場の台頭かで、かなり否定されつつある、訳だ。
そう言う意味では、本来報道に求める物は確かに、「徹子の部屋」あれかもしれない訳だが。対象の、客の知りたい事を、聞ける範囲で聞く。そう言うのが否定される様になって、何かの問題は始まったのだろうか。
黒柳徹子氏の、後継者問題、だろうか?実は。
その先の混沌が、今の事態を招いた?