ネタ切れ、という事態は、「理屈の上では」無い。
…もちろん、現実には往々にして発生するが。
基本的に、「要求」それは、「人は価値を食べる」その事態から起こる。その時は”それ”は完璧でも、その後、暫くすれば”それ”は何かの欠落を起こしている、密かにか、自然にか、「人が食べてしまっているから」だ。だから?”それ”を埋めねばならない、それが基本的には創作の需要。
もちろん?この時に、「茄子が欲しいのですが」「胡瓜しか有りません」では、対応出来ない訳で…そこは、適当に任意に、それとも専門化し他を紹介するなり、色々対処は有る訳だが、何にせよ、窮乏する場合は、ある。
ともかく?その提供の結果で、対価は発生し、”それ”を用いる事で次の供給を可能にする訳だ。需要と供給、ギブ&テイク、それが上手く行くと?それはかなり、長く廻る様には成る。
その時?要求に対して特に、拘らない方が良い、出来るか出来ないか?が問題ではあり、とは言えこの辺の発想法ほど、胡散臭いモノも実際はない訳だが。
だから、「誰か、良いネタ無い?」を許容した方が、ループに入りやすい、と自分は思うのだけど。
外部のオーダーを貰い、それを熟す事で、利益と「次」を期待する。仕事の形。
「ストリードの連携」それは、”これ”を上手くループさせる事が可能ではある。そしてこの結果、その創作は「仕事」普通の社会のそれと同じ形態に成る訳で、社会的な批判も回避し易くなる。趣味や独善じゃないのだ、需要に対して供給する結果でしかない。商売は結局そう言う物で、それが発展しなければ?経済も良くならない。
と、言う所に意識を置き続ける時?今の自分の経緯は有る訳だけど。
もちろん?物語を形成する、そのスキルは重要ではある。それが有って初めて、その雑多なオーダーにも、対応し得る訳だが。まずは”それ”の形成と、そういう”意識”は大事な話にはなる。目的、需要、それへ提供し得る意識。「テレビに出たい」的な曖昧さでは、この辺どうも混沌には成るだろう、何をしたいか、それが解らないと、先も無い。
度々自分は、相変わらず参考に成らないのだが。
説明、行動、事件、解決。起承転結は誰でも知っているが、実際に形成するとなると?意外と否定感はそこに有る。最初からインパクトを出したいし、キャラの派手な所は見せたいし、そもそも物語の悪役は解っているのだ、それを最初から排除してしまえば?するとあと30Pはどう埋めるのか。実用性を持つ「リズム」に合わせる、には結構、意識的な慣れが必要ではある。派手な後半の戦闘シーンに入るまでにあまりにも退屈では、それで良いのか?「良いんです」を言えるか否か、そこに有る根拠は何か。
自分も何故、この「説明、行動、事件、解決」で「良い」としたのか、それは或いは主観?そう言う物でしかない。
まず状況を説明し、行動させ、問題提起し、結論は何処か。
結果論だ、それで自分は上手く行っている、他の人はどうか解らない。
自分は或いは、先生には向いていないのかも。
使用イメージ
https://publicdomainq.net/charles-marion-russell-0055494/
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