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12月7日撮影 中山法華経寺
今年はきれいな黄葉は見られないのかと諦めていたのですが、
昨日、法華経寺を訪れると、泣き銀杏が見事な黄色で燃えるようでした。
例年こんなに遅い時期だったかなと調べてみたら、
前回7年前に撮ったのも師走に入ってからでした。
見頃は木によってずいぶん違いますね。
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↑は法華経寺東出口から見たところ。
何処から撮るのが良いのかとウロウロしてしまいましたが、
まわりを民家に囲まれているので、
全体を入れようとすると、結局、道をはさんで歩道から撮るしかありませんでした。
「泣き銀杏」の名の由来については市川市の公式ホームページ内にありましたので参考までに。
法華経寺の開山日常上人の義子で、日蓮の六老僧の一人日頂(にっちょう)上人が、
日蓮聖人三回忌の法要のとき、鎌倉で他宗の僧を相手に法論していたため、
法要に間に合わなかったことから厳格なる日常は大変怒って勘当してしまいました。
正安元年(1299)日常の危篤の報を受けた日頂は真間山弘法事寺から日参して、
この銀杏の樹の下で義父日常の快復を祈願し、日常に会えることを願い出たのですが、
ついに日常上人は許さず、小袖一領を形見として日頂に与えたといいます。
日常の遷化(せんげ)を聞いた日頂は、小袖を首に巻いて樹下に臥し転び、
声を放って悲嘆にくれたところから「泣き銀杏」の名が起こったといいます。
今年はきれいな黄葉は見られないのかと諦めていたのですが、
昨日、法華経寺を訪れると、泣き銀杏が見事な黄色で燃えるようでした。
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例年こんなに遅い時期だったかなと調べてみたら、
前回7年前に撮ったのも師走に入ってからでした。
見頃は木によってずいぶん違いますね。
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↑は法華経寺東出口から見たところ。
何処から撮るのが良いのかとウロウロしてしまいましたが、
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まわりを民家に囲まれているので、
全体を入れようとすると、結局、道をはさんで歩道から撮るしかありませんでした。
「泣き銀杏」の名の由来については市川市の公式ホームページ内にありましたので参考までに。
法華経寺の開山日常上人の義子で、日蓮の六老僧の一人日頂(にっちょう)上人が、
日蓮聖人三回忌の法要のとき、鎌倉で他宗の僧を相手に法論していたため、
法要に間に合わなかったことから厳格なる日常は大変怒って勘当してしまいました。
正安元年(1299)日常の危篤の報を受けた日頂は真間山弘法事寺から日参して、
この銀杏の樹の下で義父日常の快復を祈願し、日常に会えることを願い出たのですが、
ついに日常上人は許さず、小袖一領を形見として日頂に与えたといいます。
日常の遷化(せんげ)を聞いた日頂は、小袖を首に巻いて樹下に臥し転び、
声を放って悲嘆にくれたところから「泣き銀杏」の名が起こったといいます。
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