『歴史の散歩道』 上町台地を歩く 2
地下鉄を四天王寺夕陽丘で降りて 谷町筋の西側を歩くこと数分。
家隆塚をたずねました。
ここは 藤原家隆(1158~1239)の庵の跡。
前回来た時と 周囲があまり変わっていたので行き過ぎてしまいました。
今は 鬱蒼と木々に覆われた五輪石塔が建っています。
塚の西側は 表通りからは想像もつかない 切り立った崖です。
家隆卿は夕陽丘から 難波津に入る夕日に魅せられて晩年を過ごした方です。
夕陽丘の地名もこれに由来するそうです。
ここで詠まれた内の一首
契りあれば 難波の里に宿り来て
波の入日を拝みつるかな
藤原家隆卿 新古今和歌集の選者の一人。
「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりけり」
この歌 百人一首 98番の詠み人としても知られています。
この塚のそばに ライオンズクラブが用意してくださった案内パンフレットが置いてありました。ご参考までに。
地下鉄を四天王寺夕陽丘で降りて 谷町筋の西側を歩くこと数分。
家隆塚をたずねました。
ここは 藤原家隆(1158~1239)の庵の跡。
前回来た時と 周囲があまり変わっていたので行き過ぎてしまいました。
今は 鬱蒼と木々に覆われた五輪石塔が建っています。
塚の西側は 表通りからは想像もつかない 切り立った崖です。
家隆卿は夕陽丘から 難波津に入る夕日に魅せられて晩年を過ごした方です。
夕陽丘の地名もこれに由来するそうです。
ここで詠まれた内の一首
契りあれば 難波の里に宿り来て
波の入日を拝みつるかな
藤原家隆卿 新古今和歌集の選者の一人。
「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりけり」
この歌 百人一首 98番の詠み人としても知られています。
この塚のそばに ライオンズクラブが用意してくださった案内パンフレットが置いてありました。ご参考までに。