つーことで照合に写真使わせてもらうよ
でないと解説しにくい
一応マチャピチュの画像を今ちらっと見たで、それと比較しながら。
まずマチュピチュ 直感でマヤ人
アララト山のは原型なしで跡のみ そこにアルメニア人がたくさん住み着いてたことと
キリスト教の布教活動をやってた拠点のひとつという位置づけで
それの跡作ったのはアルメニア人
サイトではアルメニア人はユダヤ人ではないと書かれているが、やってることはユダヤと
一緒。これの派生がどこに流れているかって考えたりもするし。
位置的にアルメニアからはヨーロッパ入れるね。
欧州だな流れた先は。
マヤ系は流れがエジプトだから、岩切り技術もあるし暦も読める。
古代エジプトの派生だとすれば、アメリカ大陸に入ってきても山ごもりするだろうな。
これすなわち 中東系という位置づけだ あたし的に。
あとマヤ臭してるのはカンボジアあたりだったか・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あと自然山に石を張り付けしていく工法なんだな マチュピチュは。
エジプトのピラミッドは、山でなく平地に石積みしていってる。
日本にある唯一のピラミッドと思われてる長野の山はもともとが
山に石を張り付けしていってる工法。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
んじゃマチュピチュ
土建屋知識もないと書けないよな
んじゃ写真借りるよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ff/3c2066ec5d2654c679c5ad3178dbf28b.jpg)
556x400-82.8kB-一生に一度は行ってみたい!ペル...
http://www.knt.co.jp/cpn/report/kaigai/160413/inde...
画像は著作権で保護されている場合があります。
これな。こんだけ標高高いんだわ。ほぼ空の下 天空という位置をあえて選んだのさ これ。
まぁ日本でいうとこの里山暮らし 里山に隠れ住む 山篭りみたいなもの。
そこまでしてなぜここを選んだかって、たぶん立地条件が良かったんだと思う。
別な視点で見れば、日本の城だから。
これはバビロン伝説を知ってますな そして。天高く 天に届く位置まで。
さらにこの段々使いは古代エジプトなんですわ。
さらに、この高さに住めば暦を知らなきゃいけない。いろんな生産収穫するためには。
そーなるとエジプトとペルシア これの中で合致してくんのはマヤということになる。
そしてこちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/65/e098ed56450eb2b537d7958e31b3af2b.jpg)
マチュピチュ
375x500 -
www.flickr.com
この石の使い方がエジプトのピラミッドと一緒
同じ大きさで統一しだんだんで重ねていく
もしかしたら古代エジプト人は緑を求め 土地を離れたのかもしれないねぇ・・・。
この遺跡はでも そんなに古代でもないでしょ。
インカ帝国っていつだっけ?? 15世紀だからバビロンよりかなり後。
マチュ・ピチュ
面積:13 km²
マチュ・ピチュ は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根にある。 当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置する。Wikipedia
ちょっとインド臭もあるか迷ったけど、インドで暦はどーしてたっけ??
インドだとすりゃ古代ペルシア系なんだけど、古代ペルシア系がペルーというのは
あたし的にマッチしないんだよな。道教でもない。占いしてた感じはあるけど。
あたしの感じ的にはシャーマンの行事もちょっと取り入れた古代エジプト。
ほんで本題のアララト山
確かに大昔ではあるだろうけど、この山の形状にこの位置って箱舟が流れ着いたとは
置き換えようがないと思うけど。
この感じ どっかで見たな・・・ペルシアのもの調べてて どっかの城跡だな
こーいう感じ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b5/79ae08959364e81677d52b803e120a55.jpg)
これだな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/4f/479a8c5a9be6d45d3d30335f19a48a10.jpg)
500x357-141.7kB-女王の欲望に埋もれたパルミラ遺...
http://chahoo.jp/palmyra/
画像は著作権で保護されている場合があります。
ほんでもこっちはアララトと違って標高低いぞ
アララトのほうは標高が富士山よっか高い
ほんで頂上なんて言ったら5000mはあっから。
その5000m頂上付近のさ この河口の横なんだよな
ほんで左右 黒海とカスピ海に挟まれてるけど、両方とも海から500㌔あります
500キロの距離
そして舟の大きさ 推定 10m×20m 自分的には。
そーすると推定重量は・・・・150トンくらいなのかどーか 積載重量も含めて。
この大きさを標高3000m以上押し上げる津波ってね
古代ペルシアも古代マヤも古代シュメールも全員飲まれて死にます。
311でさえ あの規模で青森の桟橋がアメリカまで流れついたと結果出たけども
あの桟橋は海を流れて漂流
こちらは山の斜面まで押し上げ
キリスト教徒とユダヤ教徒が言ってることを説明すればだよ。
そして こんなんありましたけどって後だしなのな。
たぶん トルコにその場所追い出されたから、そこに箱舟があるって言い出してたんじゃ
ないの?? 時系列見るとそんな感じする。
炭素で確認したと言ってたけど、造船は木材のはず
木材でその環境で炭のように残るのも不可解
イタリアのポンペイ噴火による遺体が残ってたのは火山灰のおかげ
こちらは野ざらし
太古であればなおさら 木は腐れ果て跡形もなくなる ましてや野ざらし。
というのがあたしの今の見解。
追加で書くとポンペイの遺体が残ってたのは火山灰による高熱によって燻された
だけでなく、火山灰に埋もれて燻製されたまんま 密閉されてたからなのさ。
ところがこちらの場合 火山灰で残ったんだと言い出すかもしれんがあいにくな。
火山灰が降ったとしてもここの場合は密閉じゃない。野ざらし。
つまり雨・風で火山灰が積もって舟が燃えたとして、炭状で残るには無理がある。
でないと解説しにくい
一応マチャピチュの画像を今ちらっと見たで、それと比較しながら。
まずマチュピチュ 直感でマヤ人
アララト山のは原型なしで跡のみ そこにアルメニア人がたくさん住み着いてたことと
キリスト教の布教活動をやってた拠点のひとつという位置づけで
それの跡作ったのはアルメニア人
サイトではアルメニア人はユダヤ人ではないと書かれているが、やってることはユダヤと
一緒。これの派生がどこに流れているかって考えたりもするし。
位置的にアルメニアからはヨーロッパ入れるね。
欧州だな流れた先は。
マヤ系は流れがエジプトだから、岩切り技術もあるし暦も読める。
古代エジプトの派生だとすれば、アメリカ大陸に入ってきても山ごもりするだろうな。
これすなわち 中東系という位置づけだ あたし的に。
あとマヤ臭してるのはカンボジアあたりだったか・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あと自然山に石を張り付けしていく工法なんだな マチュピチュは。
エジプトのピラミッドは、山でなく平地に石積みしていってる。
日本にある唯一のピラミッドと思われてる長野の山はもともとが
山に石を張り付けしていってる工法。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
んじゃマチュピチュ
土建屋知識もないと書けないよな
んじゃ写真借りるよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ff/3c2066ec5d2654c679c5ad3178dbf28b.jpg)
556x400-82.8kB-一生に一度は行ってみたい!ペル...
http://www.knt.co.jp/cpn/report/kaigai/160413/inde...
画像は著作権で保護されている場合があります。
これな。こんだけ標高高いんだわ。ほぼ空の下 天空という位置をあえて選んだのさ これ。
まぁ日本でいうとこの里山暮らし 里山に隠れ住む 山篭りみたいなもの。
そこまでしてなぜここを選んだかって、たぶん立地条件が良かったんだと思う。
別な視点で見れば、日本の城だから。
これはバビロン伝説を知ってますな そして。天高く 天に届く位置まで。
さらにこの段々使いは古代エジプトなんですわ。
さらに、この高さに住めば暦を知らなきゃいけない。いろんな生産収穫するためには。
そーなるとエジプトとペルシア これの中で合致してくんのはマヤということになる。
そしてこちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/65/e098ed56450eb2b537d7958e31b3af2b.jpg)
マチュピチュ
375x500 -
www.flickr.com
この石の使い方がエジプトのピラミッドと一緒
同じ大きさで統一しだんだんで重ねていく
もしかしたら古代エジプト人は緑を求め 土地を離れたのかもしれないねぇ・・・。
この遺跡はでも そんなに古代でもないでしょ。
インカ帝国っていつだっけ?? 15世紀だからバビロンよりかなり後。
マチュ・ピチュ
面積:13 km²
マチュ・ピチュ は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根にある。 当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置する。Wikipedia
ちょっとインド臭もあるか迷ったけど、インドで暦はどーしてたっけ??
インドだとすりゃ古代ペルシア系なんだけど、古代ペルシア系がペルーというのは
あたし的にマッチしないんだよな。道教でもない。占いしてた感じはあるけど。
あたしの感じ的にはシャーマンの行事もちょっと取り入れた古代エジプト。
ほんで本題のアララト山
確かに大昔ではあるだろうけど、この山の形状にこの位置って箱舟が流れ着いたとは
置き換えようがないと思うけど。
この感じ どっかで見たな・・・ペルシアのもの調べてて どっかの城跡だな
こーいう感じ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b5/79ae08959364e81677d52b803e120a55.jpg)
これだな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/4f/479a8c5a9be6d45d3d30335f19a48a10.jpg)
500x357-141.7kB-女王の欲望に埋もれたパルミラ遺...
http://chahoo.jp/palmyra/
画像は著作権で保護されている場合があります。
ほんでもこっちはアララトと違って標高低いぞ
アララトのほうは標高が富士山よっか高い
ほんで頂上なんて言ったら5000mはあっから。
その5000m頂上付近のさ この河口の横なんだよな
ほんで左右 黒海とカスピ海に挟まれてるけど、両方とも海から500㌔あります
500キロの距離
そして舟の大きさ 推定 10m×20m 自分的には。
そーすると推定重量は・・・・150トンくらいなのかどーか 積載重量も含めて。
この大きさを標高3000m以上押し上げる津波ってね
古代ペルシアも古代マヤも古代シュメールも全員飲まれて死にます。
311でさえ あの規模で青森の桟橋がアメリカまで流れついたと結果出たけども
あの桟橋は海を流れて漂流
こちらは山の斜面まで押し上げ
キリスト教徒とユダヤ教徒が言ってることを説明すればだよ。
そして こんなんありましたけどって後だしなのな。
たぶん トルコにその場所追い出されたから、そこに箱舟があるって言い出してたんじゃ
ないの?? 時系列見るとそんな感じする。
炭素で確認したと言ってたけど、造船は木材のはず
木材でその環境で炭のように残るのも不可解
イタリアのポンペイ噴火による遺体が残ってたのは火山灰のおかげ
こちらは野ざらし
太古であればなおさら 木は腐れ果て跡形もなくなる ましてや野ざらし。
というのがあたしの今の見解。
追加で書くとポンペイの遺体が残ってたのは火山灰による高熱によって燻された
だけでなく、火山灰に埋もれて燻製されたまんま 密閉されてたからなのさ。
ところがこちらの場合 火山灰で残ったんだと言い出すかもしれんがあいにくな。
火山灰が降ったとしてもここの場合は密閉じゃない。野ざらし。
つまり雨・風で火山灰が積もって舟が燃えたとして、炭状で残るには無理がある。