3月31日(月)
桜の花もあと1~2日で開花するというのに・・・。
その開花を待たずに、数日前に、七つ違いの姉は帰らぬ人となりました。
昨年、Xmasの日に、がんセンターでセカンドオピニオンを受診しました。
生死に関わる病名なのに、一つの病院の診断で、納得するわけにはいかなかったから・・。
診断結果は、その2週間前に受診した初診の病院と同じ“膵臓がんⅣ”でした。
先生は、治療はほぼ一緒なので、今後の通院を考えて最初に受診した方の、近くの病院が良いのでは?とも、仰いましたが、姉は、ここの病院で治療していく事を選びました。
それからは、私は紹介した責任もあり、姉と私との二人三脚で、癌との戦いが始まったのですが・・。
私は、ITでこの癌についての掲載記事はくまなく読み、そして、先生が施す治療、処方される投薬の数々の効能と副作用など、勉強しながら治療と経過を見守ってきました。
姉が、激痛に唸り声をあげながら電話を掛けて来て、緊急入院したのは、3月中旬でした・・。
それからは、承知していた事でしたが、一日一日、まるで階段を転げ落ちるかのような速さで容態が変わって行きました・・。
姉も義兄も最後まで治すための治療をして頂いていると、そう信じていました・・・。
私には、それが辛くて苦しい3か月でした・・。
主治医の先生は、とても優しく、そして常に最善の治療を施して下さいました。
姉と義兄には、特に緩和療法への切り替えに際しては、一つ一つ言葉を選びながら、丁寧にお話して下さって本当に感謝しています。
入院後は、看護士さんたちも、どなたもとても優しく、手厚い看護を施して下さいました。
姉は入院後、連日、沢山の方々に見舞われて、とても嬉しそうでしたし、最後まで意識もあり、とても安らかに逝きました・・。
私が驚いたのは、姉の葬儀でした。
小さな居酒屋を営んでした姉でしたが、弔問客の数は、通夜だけで250人以上だったそうで・・。
姉がいかに交友範囲が広く、可愛がられていたかと思うと、姉の人生は幸せだったんだろうなと確信した次第です。
私は、姉の怒った顔を見たことがありません。
いつも笑顔の人でした。
そして、姉は、とても我慢強い人でした。
痛かっただろうに、よく我慢したね~~・・。
辛かっただろうに、よく頑張ったね~~・。
大好きな姉・・。
もう、楽になってね~・・。
安らかに・・・。