アメブロの過去ブログを整理していたら
下書きフォルダーに、懐かしい写真を発見
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紫蘇です。
義兄は「チソ」と呼んでいます。
昔、この周辺は薄荷が栄えた場所で
気候や土質の条件が、北見が適していたことから
最盛期の頃は、世界の7割を占めていました
しかし合成薄荷が安く手に入るようになると
北見の薄荷は価値が無くなりました
薄荷は作付けから収穫まで手がかかる上に
売上が落ちて離農した農家
他の作物に切り替える農家が続出し
自然消滅したと、生前義父から聞いたことがあります
それから長い年月を経て、薄荷に代わるものとして誕生したのが紫蘇でした
スーパーの野菜売り場にある紫蘇とは種類が少し違い
お菓子の香味料に使われています
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紫蘇刈りが近くなると、義兄とお手伝いに来ていた男性が
稲架を立て始めます
水分を減らし、少しでも多くの油を搾りだすには、乾燥は欠かせません
そのため、刈り終えた紫蘇を稲架にかけて、1ヶ月ほど乾燥させます
そのため、刈り終えた紫蘇を稲架にかけて、1ヶ月ほど乾燥させます
薄荷も、稲架にかけて乾燥させていたそうです
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稲架がけが始まった頃の写真
トラクターの上に跨って撮影してます😅
私の身長160cm身体が、すっぽり隠れてしまう紫蘇なので
刈り上げられた紫蘇は、ずっしりと重みがあります
これらを稲架にかけるのは体力が必要になり、1枚目の写真のように
ピラミッド型に立て、1日乾燥させてから稲架にかけていました
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稲架がけの様子
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かけ終えた紫蘇は、上からシートが被せられます
※ここまでの写真は、携帯電話の写メを使っているので
画像は非常に悪いです。
そして、、、
そろそろ始まる頃だろうと思われる蒸留
10月の中旬頃から11月にかけて蒸留作業が始まります
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乾燥した紫蘇が蒸留場に運ばれた様子の写真
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蒸留場です
蒸留場には3つの窯があり
1ヶ月間乾燥させた紫蘇を、数人の男女が放り込んでいきます
一定の量の紫蘇が放り込まれると
窯の中に数人の人が入り
1、2、3、4、、、、10と数を数えながら、一斉にジャンプ
空気を抜くためです
空気を抜くことで水分を減らし、油を多く抽出することができるそうです
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抽出された油
水はバケツの中に
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蒸留が終わった紫蘇は、窯からレーンで吊し上げられ
役目を終えた紫蘇は、肥料として再利用されます
今は、主人の仕事が忙しくなったことや
私も体調不良が続き、この7、8年手伝いに行っていませんが
蒸留作業は毎年、3人の子供たちも手伝いに行っていました
私も体調不良が続き、この7、8年手伝いに行っていませんが
蒸留作業は毎年、3人の子供たちも手伝いに行っていました
末娘は当時中学生だったともあり
手伝いらしい手伝いはしてないのですが💦
蒸留風景の写真は、全て末娘が撮影したものです✌️
手伝いらしい手伝いはしてないのですが💦
蒸留風景の写真は、全て末娘が撮影したものです✌️