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JR3社 来年春に新幹線の喫煙ルーム廃止へ 健康志向の高まりで

2023-10-17 20:58:19 | ニュース
NHKWEB
JR3社 来年春に新幹線の喫煙ルーム廃止へ 健康志向の高まりで
2023年10月17日 18時05分 鉄道
JR東海、西日本、九州の3社は健康志向の高まりを受けて、来年春に新幹線の車内の喫煙ルームをすべて廃止することになりました。
発表によりますとJR3社は、来年春に
▽東海道新幹線
▽山陽新幹線
▽九州新幹線の
すべての車両から喫煙ルームをなくします。

以前と比べて喫煙者が減少傾向にあることや、健康志向が高まる中で受動喫煙を防ぐことが理由だとしています。

喫煙ルームの廃止によって空いたスペースには、災害などの緊急時に活用するため非常用の飲料水を配備するということです。

また、JR西日本は新幹線のホームにある喫煙コーナーについても、分煙のために壁で仕切られた一部の駅をのぞいて、来年春に廃止します。

一方、JR東日本は2007年に東北新幹線などすべての新幹線を全面禁煙にしています。

谷村新司さん死去 74歳 「冬の稲妻」「昴」など数々のヒット曲

2023-10-17 10:24:40 | ニュース
NHKWEB
谷村新司さん死去 74歳 「冬の稲妻」「昴」など数々のヒット曲
2023年10月17日 4時39分 訃報
「冬の稲妻」や「昴」など数々のヒット曲で知られ長年、歌謡界をけん引してきたシンガーソングライターの谷村新司さんが今月8日、亡くなりました。74歳でした。
目次

  • イルカさん「谷村さんの歌には国境を越える力」

  • 「チャンピオン」のモデル カシアス内藤さん「人生の支えに」
目次を開く
谷村新司さんは大阪府出身で、1972年にバンド「アリス」でデビューしました。

“チンペイさん”の愛称で親しまれ、堀内孝雄さんらとともに力強いボーカルで「チャンピオン」や「冬の稲妻」などヒット曲を次々と発表しました。
またシンガーソングライターとして「昴」など長く歌い継がれる名曲を生み出したほか、「いい日旅立ち」を山口百恵さんに提供するなど長年、日本の歌謡界を牽引してきました。

また、谷村さんは、中国・上海にある音楽学院で教授を務めたこともあり、中国で人気の日本人歌手として知られていて、2017年には上海で日中国交正常化45年を記念したコンサートを開いています。

代表曲の「昴」は中国語でもカバーされるなど広く親しまれているということです。

2015年には日本だけでなく広くアジアに受け入れられる作品を数多く生み出し、芸術文化の発展に貢献したことが評価され紫綬褒章を受章しています。

事務所のホームページによりますと谷村さんは、ことし3月に腸炎のため手術を受け、予定されていたアリスの全国ツアーを延期して、療養していましたが、今月8日、亡くなりました。

葬儀は15日近親者で執り行われたということで、事務所では後日、しのぶ場を設けたいとしています。
イルカさん「谷村さんの歌には国境を越える力」
 
谷村さんと公私ともに親交が深かったシンガーソングライターのイルカさんは、谷村さんの音楽について「『音楽でつながろう』という強い思いがあったと思います。『昴』の歌詞でも歴史や文学など谷村さんが持つインテリジェンスが詰まっていました。普遍的なものを歌っているからこそ谷村さんの歌には国境を越える力があり、幅広い国の人たちから愛されたのだと思います」と話しました。

また、谷村さんの人柄について「いつでもおだやかで、そして学者のように博学な人でいろいろな話を聞かせてくれました。また夫を早く亡くした私によく『大丈夫か』と声をかけてくれるお兄ちゃんのような人でした。亡くなったことは本当に残念です」と振り返っていました。そして、「体調が悪いとお聞きしていたので、手紙を書こうか迷っていましたが、必ず復帰すると信じていたので結局、出さずにいました。これからも谷村さんの歌を歌っていきたいと思います」と死を悼んでいました。
「チャンピオン」のモデル カシアス内藤さん「人生の支えに」
谷村新司さんが亡くなったことについて、アリスの代表曲の1つ、「チャンピオン」のモデルとして知られる元プロボクサーのカシアス内藤さんが取材に応じました。

内藤さんによりますと、「チャンピオン」は、曲の発表後に自分をモデルに作られたことを知ったということで、谷村さんからも「君の歌だから自分でアレンジして歌っていいよ」と言われたそうですが、「恥ずかしくて人前では歌えなかった」と明かしました。

内藤さんは現役を引退後、がんで余命3か月と診断されましたが、今度は逆に、「チャンピオン」で救われたと話し、「この歌は、活力を与えてくれています。人生の支えになった歌です」と話しました。

最後に、谷村さんへの思いを聞いたところ、「もう一度会えるとしたら谷村さんの前で歌いたい。感謝しかないです」と話し別れを悲しんでいました。
母校 桃山学院大 中野学長「谷村さんのスピリット学生たちに」
谷村新司さんの母校、大阪の桃山学院大学からも悼む声が上がっています。

大学によりますと、谷村さんは1967年に桃山学院大学に入学して、在学中の1971年にアリスを結成し、在学中から活躍していました。

2016年には大学から名誉博士学位を授与されていて、大学で学生に向けたコンサートも行ったということです。

この間の1994年、谷村さんは母校のために「WILL」というキャンパスソングを作詞作曲し、贈っていました。

大学ではいまも式典などでこの歌を流しているということです。

歌詞には「他人の為に生きるもいい自分の為に生きるもいい大事なことは自分らしく生きる!そう思わないか君はそう思わないか」と学生たちへのメッセージが盛り込まれています。

桃山学院大学の中野瑞彦学長は「谷村さんの歌詞には、自分に素直に生きていこうという本学の精神が反映されていると思う。長い人生を考える上で貴重なメッセージを残してくれていて、もし可能であればもう一度、大学で学生たちのために歌を聴かせてもらいたかった。谷村さんが残してくれたスピリットを学生たちにこれからも伝えていきたい」と話していました。
センバツ高校野球の大会歌 作曲手がける
谷村新司さんは長年親しまれているセンバツ高校野球の大会歌「今ありて」の作曲を手がけました。

1993年に発表されたセンバツ高校野球の大会歌「今ありて」は、作曲を谷村さん、作詞を阿久悠さんが手がけました。

「ああ、甲子園」という歌詞の部分のメロディーが印象的で、長年、高校球児や高校野球ファンに親しまれてきました。

2008年に行われた80回の記念大会では、開会式に先だって、谷村さんが地元の高校の生徒や卒業生とともに甲子園に歌声を響かせました。

また、2018年に行われた90回の記念大会では開会式の入場行進曲に選ばれ、当時、谷村さんは「ドキドキしながら高ぶってくるというようなメロディーをつけたいなというのがまず頭に浮かんだ。『ああ甲子園』というところを歌う時にみんなの気持ちがひとつになったらいいなというイメージで、自分で1人でギターを弾いて歌いながら、何回も何回も歌った」と曲への思いなどについて語っていました。
谷村さんと一緒に歌った当時高校生の女性 心境話す
 
谷村新司さんは作曲を手がけた春のセンバツ高校野球の大会歌「今ありて」を15年前の80回記念大会の際に甲子園球場で高校生などと歌いました。

当時、高校1年生で一緒に歌った女性は「思い出に残るよい経験をさせてもらいました。亡くなった知らせを聞いて驚くとともに悲しいです」と心境を話しました。

春のセンバツ高校野球の開会式では、1955年から神戸市の神戸山手女子高校の生徒たちが大会歌を合唱していて、1993年からは谷村さんが作曲した「今ありて」を甲子園球場で披露しています。

このうち2008年に行われた80回の記念大会の開会式に先だって、谷村さんが神戸山手女子高校の生徒や卒業生とともに歌いました。
当時、高校1年生で現在は母校で音楽の先生をしている上田美幸さん(31)は「亡くなった知らせを聞いて、驚くとともに悲しいです」と心境を語りました。

甲子園球場で大会歌を歌ったことについては「本当に思い出に残るよい経験をさせてもらいました。記念大会なので、谷村さんと同じジャケットを着て歌えたことがうれしかったです。作曲者と歌える機会はなかなかないので、すごく光栄でした」と振り返りました。

上田さんは学校で大会歌の指導にもあたっていて「私の経験も伝えながら、今の生徒が高校球児にエールを送りつつ、作曲者の谷村さんのことを思って歌えるように指導していきたいです」と話していました。

学校には、2002年に谷村さんから送られたサインが保管されているということです。
歌を通し 福島の復興支援に携わる
谷村新司さんは、東日本大震災からの復興や原発事故による風評の払拭を目指す福島の姿を伝える歌の作詞・作曲を手がけるなど、歌を通して福島の復興支援に携わってきました。

福島県の依頼で谷村さんが作詞・作曲した「雲のかなた」は2017年に公開されました。

歌詞のベースになったのは「ふくしまへの想い」をテーマに県が全国から募集した作文で、谷村さんは、800を超える作文に目を通し創作のイメージを高めたと語っていました。

歌詞は「10年後に空を見上げる私を思い描こう」で始まり、2番は「通いなれたあの道端に咲いている花忘れない」などの表現に震災による津波や原発事故でふるさとを離れた人々の心情を重ねています。

また、曲調が大きく展開する部分は「未来図は見上げる蒼い空」という歌詞で、福島の明るい未来を願う谷村さんの思いが込められています。

郡山市の日本大学東北高校合唱部がこの歌を歌い、福島県の公式YouTubeチャンネルで公開されました。

歌の完成直後、谷村さんはインタビューで「前を向いてみんなが『ようし、頑張ろう』と10年後の自分をイメージできる歌にしたかった。福島の今や過去を歌で伝える役割を担う、そんな歌でありたいと思ってできあがった歌です」と話していました。
長年 中国との音楽交流に力を注ぐ
谷村新司さんは、1981年、日中国交正常化から10年を前に北京で開かれた交流コンサートに「アリス」として参加したのをきっかけに長年、中国との音楽交流に力を注いできました。

日本と中国でたびたびコンサートを開いてきたほか新型肺炎の「SARS」が流行したときには支援を呼びかけて寄付を行いました。

▽2004年には上海音楽院の教授に
▽2007年には南京芸術学院の教授に就任していて、最近では
▽2017年に中国・上海で日中国交正常化から45年を記念したコンサートを開くなど中国で人気の日本人歌手として知られています。

代表曲の「昴」は中国語でもカバーされるなど広く親しまれているということです。
アリスの全国ツアー延期し早期復帰望まれる中 死去
谷村さんはアリスの全国ツアーが始まる直前に急性腸炎になり、ツアーを来年に延期して早期の復帰が望まれる中で亡くなりました。

1972年にデビューしたアリスは、活動10年のタイミングでいったん活動を休止しましたが、メンバー3人が還暦を迎えたのを機に2009年、本格的な活動再開を発表し、ファンを喜ばせました。

この年には紅白歌合戦にも出場し「チャンピオン」を歌い、往年の人気バンドの復活をアピールしました。

そしてことし6月からは全国21か所を回る大規模なツアーが予定されていました。

しかし、ツアー直前のことし3月、谷村さんが急性腸炎となり、手術を受けたため、年内は療養することが発表されていました。

全国ツアーも来年に延期されることとなり、谷村さんは、早期の回復が望まれる中で亡くなりました。
堀内孝雄さん「ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せ」
 (左から)堀内孝雄さん、谷村新司さん、矢沢透さん
谷村新司さんの訃報を受けて、堀内孝雄さんがコメントを発表しました。

この中で「突然の別れに驚きを隠せません。来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。僕にとってのチンペイさんは、50年来の親友であり、『アリス』のリーダーであり、そして良きライバルでした。学生時代に、『プロにならないか?一緒にアリスをやろう』と、誘ってくれたとき、心の底からうれしかった。チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした。また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。心から、ありがとう。安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます」とつづりました。
矢沢透さん「時には抱き合い幾多の苦難も喜びも共有」
矢沢透さんがコメントを出しました。

この中で矢沢さんは「東京に住む僕と大阪に住む谷村と、何の因果か運命の出会いか堀内を紹介され3人アリスとして歩み始めました。時にはいがみ合い、時には抱き合い幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた。そして気が付けば51年という長きにわたって谷村と関わるとは・・・あの日からは想像もしませんでした」としています。

そして「若さの灰汁も抜け『これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね』と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、根拠のない確信めいたものを感じておりました。でも谷村は戻ってきませんでした!もういないんです。悲しいというよりも悔しいんです。谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい。今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました」とつづっています。
清水アキラさん「力が抜けてしまった」
テレビ番組などで谷村新司さんのものまねを披露していたタレントの清水アキラさんは自身のブログで「爽やかな風、まっ青な空に雲、素晴らしい天気。そんな中、飛び込んだ谷村新司さんの訃報。力が抜けてしまった。ご冥福をお祈り致します」と心境をつづっています。
加山雄三さん「永遠の『サライ』を谷村くんと共に」
 
谷村新司さんとともに「サライ」などの楽曲を制作した歌手の加山雄三さんが「谷村新司君の訃報に接して」というタイトルで自身のウェブサイトでコメントを発表しました。

その中で加山さんは「谷村君が亡くなったこと、先ほど知りました。ショックと悲しみで正直混乱しています。ちんぺいとは『サライ』をはじめたくさんの思い出があります。ヤンチャーズ楽しかったよな。たくさんの場所で一緒に歌ったよな!陶芸に誘ってくれた兄弟子でもあるし、いつもちんぺいには『加山さん勝負じゃないんだから!』って言われてたっけ。ほんとの兄弟のように慕ってくれて一緒にいる時は本当にいつも楽しかったよ。その兄想いの弟が先に逝ってしまった今、気持ちをまとめてくれと言われても、彼に伝えたいことはたくさんあって、言い切れないよ。一言だけ彼に伝えるなら、やっぱり『ありがとう』この感謝の言葉しか見当たりません。永遠の『サライ』を谷村くんと共に…」とつづっています。

また、コメントには去年谷村さんと共演したテレビ番組の控え室で、一緒に撮影した写真も添えられています。
さだまさしさん「俺は信じない」
 
谷村さんと親交が深かったさだまさしさんは、自身のインスタグラムでコメントを発表しました。

さださんのコメントは次の通りです。

「いやいや、俺は信じない。何度か電話してもでないから、どっか旅にでも出たに決まってる。出会ったのは51年前。デビューしたてのアリスが長崎にキャンペーンでやって来た。以来、兄貴の如く仲良くしてもらった。甲子園や後楽園で野球の試合もした。静岡では一緒に飲み歩いた。長崎でも、武道館でも、あっちこっちでも一緒に歌った。最近ゆっくり会ってないけど、ホテルニューオータニ大阪のディナーショーは、いつも一日違いだったから、毎年必ず会えた。思い出したらキリがない。春に入院したとき慌てて電話したら『大丈夫、大したことないのよ』って言ってたじゃん。八月の終わりと九月の半ばに電話したけど、いつもなら必ず折り返してくれるのに返事がなかったけどね。一言も、なにも言わずにいなくなりましたって?いやいや、俺は信じない。うん。信じない」
研ナオコさん「74歳まだまだ歌いたかったと思います」
谷村新司さんの訃報について、谷村さんから楽曲の提供を受けたことがある研ナオコさんはNHKの取材に対し、コメントを寄せました。

その中では、「本当に驚きです。信じられません。1992年に『悲しい女』と言う曲を作っていただきました。4年前にアリスの復活コンサートを武道館に観に行き、打ち上げまで呼んでいただき、デビューしたころの楽しいお話しさせていただきました。それが最後になってしまいました。74歳まだまだ歌いたかったと思います。お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします」としています。
事務所「皆さまの心にいつまでも残る事を願って心よりの感謝」
 
谷村新司さんの訃報を受けて所属していた事務所がホームページにコメントを出しました。

コメントでは「本人も回復に向けて頑張っておりましたので本当に残念に思います。葬儀は近親者のみにて10月15日に執り行いとても穏やかな顔で旅立ちました事をご報告申し上げます」としています。

そして去年、アリスが活動50年を迎えたことについて「記念ライブを開催し、メンバーの堀内孝雄・矢沢透と共にここからリスタートして10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりましたが残念ながらその夢は叶わず満75年の生涯を終える事となりました。後日には皆で集まって故人を偲ぶ場を設けたいと思っております」としています。

また「生前『歌と音楽は目に見えないからこそ海も空も超えていく』と沢山の国にも出掛けていきました。歌を創作し歌い伝える旅を続けてきた人生でした」と振り返り「歌と音楽にピリオドはなく皆さまの心にいつまでも残る事を願って心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます。これまでに沢山の『愛』をいただき本当に有難うございました」とつづっています。
愛知県 神田元知事「さみしい気持ちでいっぱい」
2005年の「愛・地球博」のイベントなどを通じて、谷村さんと交流があった当時の愛知県知事、神田真秋氏は「楽曲や歌声はわれわれの青春そのものです。さみしい気持ちでいっぱいです」と話しました。

谷村さんは、2005年「愛・地球博」の行事として愛知県が開いた音楽イベントの総合プロデューサーを務めました。

こうした縁で、およそ20年の交流があったという当時の愛知県知事、神田真秋氏はNHKの取材に対し「万博はおかげさまで、課題はあったが大成功した。成功の背景にはさまざまな方の支援やご協力があったがその1人であったのは間違いない」と振り返りました。

その上で「最近はずっと公演を休んでおられたので、よほど悪いのかと思っていました。谷村さんとはほぼ同世代で、その楽曲や歌声はわれわれの青春そのものです。今後お会いすることがなくなり、さみしい気持ちでいっぱいです」と悼んでいました。

去年行われたコンサートの際に会ったのが最後だったということで「リハーサルでもすごい声量ですばらしい歌を歌われて、手抜きをされない人でした。地元の子どもを舞台に上げて一緒に歌うことも熱心にやっておられ、子どもへの優しさや温かいまなざしに谷村さんの人間が表れていました」とその人柄をしのびました。

そして「ショックでさみしいですが、この地域のたくさんのファン、思い出を持つ人たちも同じ気持ちだと思います。あのようなシンガーはそうは出てこないと思います」と話していました。
官房長官「多大なる社会貢献活動 これまでの功績に敬意」
松野官房長官は午後の記者会見で「長年にわたり、シンガーソングライターとしてわが国だけでなく広くアジアに受け入れられる作品を数多くつくり出し、音楽文化の発展に大きく貢献された。また『社会を明るくする運動』の旗振り役として協力を頂き、中国との交流にも尽力されるなど、多大なる社会貢献活動をされた。これまでの功績に改めて敬意を表するとともに、哀悼の意を表したい」と述べました。
日本中国友好協会 伊藤事務局長「日中の友好に尽力」
谷村新司さんは長年、音楽を通じて中国と日本の文化交流を行ってきたということで、日本中国友好協会の伊藤洋平事務局長はNHKの取材に対し「ニュースで訃報を知り、驚きました。長年、日中の友好に尽力してこられた貴重な人材を失い、残念でなりません。先月、上海と北京で日本と中国の文化交流会が開かれた際にも谷村さんの「昴」が流れていました。中国での「昴」の知名度の高さを認識すると同時に谷村さんが築いた功績を改めて感じました」とコメントしています。
中国 毛寧報道官「哀悼の意を表します」
中国外務省の毛寧報道官は16日の記者会見で「谷村さんが亡くなられたことに哀悼の意を表します」と述べました。
新宿では「びっくり」「本当に残念」
谷村新司さんが亡くなったことについて、東京 新宿で聞きました。

70代の女性は「今、亡くなったと聞いてびっくりしました。いい歌を歌っていらっしゃったと思います。『昴』が好きでよく聞いていたので、ショックです」と話していました。

30代の女性は、「また歌う姿を見られると思っていたので残念です。両親も好きで、母もよく口ずさんでいるのを聞いていたので、寂しいなと感じます」と話していました。

60代の男性は「私たちの世代はギターを弾き始めたとき、入門としてアリスの『チャンピオン』などを聞いていました。フォーク、ニューミュージックといろいろなミュージシャンがいましたが、世代の中でトップの人だったと思います」と話していました。

中国出身だという30代の男性は、「本当に残念です。誰にでも好かれる曲、年齢層を問わず、国籍を問わず好かれる曲を作れる人だと思います。私は幼いときに日本に来ましたが、親の話では、中国でも人気で、有名だったということです。『昴』や『チャンピオン』が大好きで、カラオケで歌う人がいると盛り上がりました」と話していました。
大学生のころ訪れていた喫茶店「色あせない思い出の1ページ」
 
谷村新司さんは「アリス」を結成する前の大学生だったころ、大阪 天王寺区にある喫茶店を毎日のように訪れていたといいます。

谷村さんは決まってコーヒーを注文し、店内に置かれているクラシックギターを弾いて発表前の曲を常連客に披露することもあったということです。

店主の加藤歩子さんによりますと谷村さんは当時「バンドのメンバーを探している」とか「いい人が見つかった」などと、活動内容について話していたということです。

加藤さんは「チンペイちゃんが亡くなったと聞き、びっくりしてじっとしていられなくなってきょうは行くあてもなく散歩していました。私にとっては色あせない思い出の1ページでした」と話していました。
ふるさと大阪では惜しむ声相次ぐ
谷村新司さんが亡くなったことについて、ふるさとの大阪では惜しむ声が相次ぎました。

大阪市の60代の男性は「中学生のころからラジオで谷村さんの曲を聞いていたので、本当に驚きました。テレビなどでも大阪弁でしゃべっていたので親しみをもっていました。本当に残念です」と話していました。

大阪市の70代の女性は「谷村さんが歌う歌は全部好きでよく聞いていました。まだお若いのに亡くなったと聞き心が痛く、寂しいです」と話していました。

八尾市の50代の男性は、「『チャンピオン』などアリスの曲が好きでファンでした。惜しい人を亡くしたという思いです。これからも谷村さんが残した名曲を聞きたいと思います」と話していました。

また、大阪市の70代の男性は「同じ大阪で同年代なので寂しいです。昴の歌声が本当に好きでした」と話していました。
中国メディアも谷村さんの死去を速報で伝える
谷村新司さんは日本と中国の交流活動に長年、取り組み、中国のメディアも日本の報道を引用して谷村さんの死去を速報で伝えました。

谷村さんは両国の国交正常化を記念するコンサートを行ったり2010年に上海で開かれた万博の開会式に参加したりしたほか、上海にある音楽大学で教鞭をとり中国の音楽の発展にも貢献しました。

上海で道行く人に話を聞くと50代の男性は「彼の作品がずっと好きだった。突然の知らせに驚いている」と話していたほか、女性は「多くの歌手がカバー曲を歌っていました。メロディがとてもすばらしく知らせを聞いて悲しいです」と話していました。

また、中国のSNSでは、谷村さん関連の検索がランキングで上位に入りました。

SNS上には「上海万博の開会式で彼の音楽を聞いてファンになった。当時は、私も小さかったが、印象深く覚えている」や「今後、中国と日本の音楽会で、彼のように世代や時代に影響を与える人は誰も出てこないだろう。とても悲しい」など谷村さんを悼んだり功績をたたえたりする書き込みが見られました。

路線バスの運行を維持

2023-10-17 06:43:31 | ニュース
金剛バスの車両© ITmedia ビジネスオンライン
 路線バスの運行を維持しようにも、運転手の不足で減便・路線の廃止を行わざるを得ない……。こんな状況が全国各地で相次いでいる。

 その中で、大阪府の南東部を拠点とする「金剛自動車」(以下:金剛バス)が下した決断は、減便・廃止ではなく「3カ月後(2023年12月20日)をもって、路線バス全線(全15路線)ならびに、事業そのものの廃止」。同社は既に貸切バス・タクシーなどからも撤退しており、創業97年目にして、実質的な会社の閉業を迎える。

 「路線バスの大幅縮小・会社ごと撤退」という事例は、過去にないわけではない。しかし、金剛バスのホームエリアである大阪府の南東部(富田林市・太子町など)は総計で15万人以上もの人口があり、電車なら大阪市内に30分程度で到達できるとあって、市外への通学・通勤も多い。金剛バスは、富田林駅・喜志駅(近鉄長野線)・上ノ太子駅(近鉄南大阪線)と住宅街を結んでいる。過去に破綻したバス会社と比べると、それなりに恵まれているのだ。

 しかもこのエリアは、クルマ以外の公共交通が路線バスのみという地域も多い。特に南河内郡河南町は約1.5万人の人口を擁し、戸建て住宅が密集する住宅街「さくら坂」から富田林駅に向かうバスは、朝晩は当然のように座席がふさがり、利用者は通路まであふれる。

 いまは減少傾向にあるとはいえ、金剛バスは1日約2600人の利用があり、地域の過疎化も限界まで進んでいるわけではないこの環境の中で、バス会社としての“突然死”が起きてしまった訳だ。全国各地のバス会社や利用者からすると「大阪近郊でダメなら、地方のバス会社は、うちの地方は一体……」と、背筋が寒くなるのも当然だろう。同社が下した閉業の決断は、こうして全国で、ことさら大きく報じられた。
 大都市の近郊という恵まれた条件下にあったはずの同社は、なぜ実質的な廃業に踏み切らざるを得なかったのだろうか。

●金剛バスはなぜ助からなかったのか
 金剛バスによると、路線バス事業から撤退する直接の理由は「運転手の不足」とのこと。必要とされる30人の運転手のうち、今後も就業できるのは20人程度。いわゆる「2024年問題」でドライバーがいま以上に不足することは明らかで、これでは到底、バス事業を続けることはできなかっただろう。

 それだけでなく、12年に年間172万人だった利用者は、20年には106万人まで減少。もう10年以上も赤字が続き、帝国データバンクにおける信用調査のランク付けは「D3」(100点満点の40-43点)と、融資が絶望的なレベルまで財政が悪化していた。この状況では、同社の経営問題はコロナ禍がなくとも、遅かれ早かれ噴出していただろう。
●問題の本質と向き合わなかった自治体の責任
 そんな金剛バスに対して、エリア内の各自治体は、利用促進策を中心とした支援を行ってきた。
 例えば富田林市では、市内の総合公園 (サバ―ファーム)への路線延長に対する経費を補助。また、コロナ禍で乗客が半減した21年には、補助金を活用して市内バス運賃を期間限定で100円均一に。いずれも一定の利用者増加につなげた。太子町でも、支援を行った上で20年にバス路線の新設を行ったばかりだ。

 しかしこれらは、あくまでも「市が希望したバス路線の赤字補填」であり、運転手の養成や設備の建て替え、車両の更新(金剛バスは建物・車両ともに、全般的に相当年季が入っている)に直接つながるものではない。過去の富田林市議会の動きを見ていても、こういった補助を検討している形跡はない。拠出が増えないかたちでの増便や、交通系ICの導入など、税金を拠出する側としての要望を矢継ぎ早に行っており、これでは金剛バスの負担は増えるばかりだっただろう。

 なお各自治体は、金剛バスからの申し出を今年5月に受け、補助金の拠出を申し出たものの断られ、廃業のニュースは9月に表沙汰に。各自治体とも3カ月後の全面廃止に向け、近隣の近鉄バス・南海バスと引き継ぎ交渉を行っているものの、準備期間の短さもあって苦戦しているという。こうしてみると、各自治体が金剛バスの抱える根本的な問題を直視せず「ちょっと乗客を増やせば、今後とも無条件で協力してくれるだろう」と甘い見立てであったことは否めないのではないか。

 国道交通省が発表した「令和4年度交通政策白書」によると、路線バス事業者はコロナ禍で利用者、経常収益が2割ほど減少。94.0%が赤字を抱える(令和5年版交通政策白書より)だけでなく、運転手の不足で運行の継続が厳しくなっている場合も多いという。

 さらに間もなく「2024年問題」によるさらなる人材不足は避けられない。今後、地方、都心部に限らず、“第二・第三の金剛バス”が出る可能性は大いにあるだろう。

●路線バス廃業を止めるために必要な2つのコト
 地域に必要なバス路線を、持続可能なかたちで残したい。全国のバス会社や自治体の一致した願いだろう。今回の金剛バスのような“突然死”を迎える前にバス会社を救済する目的もあり、国(国交省)が主導する新たな補助制度「エリア一括協定運行事業」が23年度から始まった。

 この制度はこれまでの「とにかく赤字補填」という在り方から抜け出し、路線バスの枠にとらわれない「地域交通の再編」を促すものだ。

 例えば「同エリアの移動手段の競合」も再編の対象となる。金剛バスで例えるなら、河南町内では並行して、町営バス・デマンドタクシー(カナちゃんバス・かわせみタクシー)、富田林病院の送迎バス、企業送迎バス、スクールバスなどが走り、同社の利用者を細かく奪っていった。

 こういったムダな競合を避けるために、可能な限り体制を一括化(おそらく各事業者は個別で残り、持ち分の便の運行を委託されるような方式になるだろう)。同じ時間に並走しないように運行本数を削減する。それぞれの車両を使って、例えば「朝晩だけバス会社の大型バス、昼間は送迎バス用のワゴン車」などという、利用実態に合わせた運行体制をとることも可能だ。

 かつ、国や自治体が「ちゃんと運行を維持します!」という保証を行いつつ、運行を維持するための経費を補助する。単なる赤字の補填ではなく、今後も運行を続けるための補助であり、バス会社にとっては「運転手の確保」「上下分離(施設や車両を自治体に保有してもらい、税金の負担を減らす)」にかかる費用を相談できる。

 また「下手に利用者が増えるともらえる補助金が減る」という従来の補助制度と違って、乗客を獲得すればしっかり会社の利益になるため、バス会社の自助努力も期待できるだろう。
 他にも再構築の一例として、各地で実際に行われている「もともとあった小型スクールバス車両を活用」(石川県珠洲市)、「スクールバスと路線バスを統合・1台の車両で席を分けて混乗」(高知県三原村)、「工場の送迎バスに路線バスの機能を持たせ、一般客も乗車可能に」(静岡県湖西市)などの施策を参考に、重複のムダを省いた「アリモノ活用での再編」を行うのもいいだろう。

 この「エリア一括協定運行事業制度」が各地で適用されるなら、各地のバス会社が“第二・第三の金剛バス”となる前に、早めに救済ができる。そもそも金剛バスの場合は、06年に同社が大阪芸術大学の送迎バスから外されて収益源をなくしたり、労使関係で度々もめたり、不安な動きが目立っていた。そこから車両も建物も更新が進んでいなかった時点で「あれ? 将来的にマズくないか?」と、地元自治体が気付かなかったわけがない。

●運転手の待遇見直しが急務
 これから全国各地の路線バスは「赤字の補填」ではなく「再構築」が生き残る基準となっていくだろう。しかし、この制度をもってしても、運転手不足の切り札とはならない。なぜなら、根本的な不足の原因が「拘束時間の長い変則勤務・最大13連勤・給与水準はホワイトカラーの会社員以下」という、路線バス運転手の待遇が、そもそもの原因であるからだ。

 労働条件に嫌気が差してトラックや観光バスの運転手に転職してしまったケースは、金剛バスに限らず後を絶たない。交通ネットワークの再構築を行うにしても、支援を行う形での待遇面の改善を織り込まないと、担い手不足で計画そのものが崩れてしまうだろう。

 「再構築」に必要な人材が集まり、路線バスが生き残る必須条件を、シンプルに記したい。

 「その町で結婚して、子育てができるレベルの給与水準・労働条件を出さないと、もうバス運転手は確保できない!」

 この一点だけはムダと認識せず、国が主導して人材育成から取り組むくらいの動きを見せないと、路線バスは「2024年問題」も、その先も乗り切れないだろう。


ヤマト運輸 個人事業主らとの契約終了決定 従業員ら撤回求める

2023-10-17 06:40:16 | ニュース
nhkweb
ヤマト運輸 個人事業主らとの契約終了決定 従業員ら撤回求める
2023年10月17日 4時53分
宅配大手のヤマト運輸がダイレクトメールなど軽量の荷物の配達を担当するおよそ3万人の個人事業主や、仕分けを担当するパート従業員との契約の終了を決めたことを受け、従業員らが記者会見を開き、契約終了の撤回を求めました。

ヤマト運輸は、ダイレクトメールなどの軽量の荷物の配達業務を日本郵便に任せることになったことに伴い、配達にあたる個人事業主およそ3万人と荷物の仕分けを行うパート従業員との契約を来年度末=2025年3月末までに終了するとしています。

16日はパート従業員らが都内で記者会見を開き、現在、業務にあたっている個人事業主とパート従業員の中には来年1月末の契約終了を告げる通知が届いている人がいることを明らかにし、契約終了の撤回を求めました。

そのうえで16日会社側と団体交渉を行い、パート従業員については「配置転換を精査して余剰人員が出た場合は解雇をお願いする」などと説明があったと報告しました。

一方で、個人事業主については法律上の労働者にあたらないとして会社側が交渉を拒否したということです。

仕分け業務に15年間従事したパート従業員の女性は「これまで何回も配置転換のお願いをしていて、いまさら精査と言われても納得できない。不信感でいっぱいだ」と訴えました。

労働組合によりますと今後、個人事業主について会社側が交渉に応じるよう東京の労働委員会に救済を申し立てるということです。

ヤマト運輸「契約終了に丁寧な説明行う」
ヤマト運輸は「一人一人の契約終了に丁寧な説明を行い、団体交渉についても真摯(しんし)に対応して参ります。ヤマト運輸で就業実績のある方の採用を検討いただいている企業の求人情報の紹介など対象となるすべての方々に会社として可能なかぎりサポートを行っていきます」とコメントしています。